「検察官定年延長問題」と「検察への信頼」はいかなる関係にあるか

いわゆる「検察官定年延長問題」については、今年2月の時点で、検察幹部が「人事で疑念を持たれることで捜査、公判への信頼が揺らぐことが心配」と、「政治に人事を通した検察への介入」への懸念を示していました[1]。

そして、懸念の理由として挙げられているのは「起訴権を持つ検察は高い中立性・公正性が求められる」[1]という点です。

実際、1954年の造船疑獄や1988年から1989年にかけてのリクルート疑惑などは、検察の捜査が吉田茂内閣と竹下登内閣の退陣に繋がっており、「政治と検察」の関係がしばしば緊張の中に置かれてきたのは周知のところです。

あるいは、造船疑獄の際に、収賄容疑のあった自由党の佐藤栄作幹事長への逮捕許諾請求に対して、指揮権を発動して逮捕の無期限延期と任意捜査を命じた犬養健法務大臣が事実上政治生命を絶たれたように、検察への対応いかんによって政治家の身体が決することも珍しくないところです。

それでは、こうした検察の活動は何によって支えられてきたかといえば、検察庁法が最大の根拠となっています。

すなわち、三権分立、特に司法の独立を理念の一つする憲法の規定を背景として作られたのが検察庁法であることは、組織や権限、あるいは裁判官に準じる身分の保障や待遇を定めていることからも推察されるところです。

それとともに忘れてはならないのが、検察活動が国民の信頼に基づいて形成されているという点です。

例えば、1976年に明らかになったロッキード事件において検察の行動が国民の支持を獲得したのは、田中角栄元首相の「金権政治」への反感だけでなく、国民の信頼があったからこそといえます。

この点に関しては、「検察権の行使が政党内閣の恣意によって左右されることになれば、ひいては、司法権の作用がゆがめられることになる」[2]と指摘されています。

一方、今回の「定年延長問題」は、森雅子法務大臣が口頭決裁により定年延長を妥当だとしたと発言しており、手続きの適正さに疑問が呈されています[3]。

このような状況では、検察庁法の変更が恣意的に行われているという疑念を払拭することが出来ませんし、改正の正当性と妥当性も疑わしくなります。

東京地方検察庁特捜部長などを歴任した河合信太郎は、「検察権の行使は常に一党一派に偏することなく厳正中立であって、いささかもそれが疑われるようなことがあってはならない」と述べました[4]。

その意味で、今回の法改正案が「一党一派に偏する」という印象を持たれるなら、単に「政治による検察の介入」に止まらず、「検察権の行使」に対する人々の信頼そのものを損なうことになりかねません。

検察幹部の懸念が看過されるべきではなく、関係者に十分な注意が求められるゆえんでもあります。

[1]検事長の定年延長前例なく 「人事介入」野党批判. 日本経済新聞, 2020年2月22日朝刊4面.
[2]伊藤栄樹, 秋霜烈日. 朝日新聞社, 1988年, 30頁.
[3]鈴村裕輔, 「検察官定年延長問題」の根幹をなすのはいかなる問題か. 2020年5月10日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/da76dbc0e8ce01e93a7b26d01b511e04?frame_id=435622 (2020年5月12日閲覧).
[4]河合信太郎, 検察讀本. 商事法務研究会, 1979年, 3頁.

<Executive Summary>
The "Mandatory Retirement Age Issue" and Public Trust for the Prosecutor's Office (Yusuke Suzumura)

The Abe Administration aims to revise The Public Prosecutor's Office Act in which the mandatory retirement age is set prosecutors at 63 and that for the prosecutor-general, Japan's top prosecutor, at 65. It might be a kind of problem for a relationship between public trust and the Prosecutor's Office.

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