【評伝】アル・ケーラインさん--「ミスター・タイガー」は「デトロイトの英雄」

現地時間の4月6日(月)、元デトロイト・タイガースのアル・ケーラインさんが死去しました。享年85歳でした。

ケーラインさんはタイガースに22年間し、通算3007安打、399本塁打を記録して「ミスター・タイガー」として親しまれたことは広く知られるところです。

当時の大リーグはナショナル・リーグ、アメリカン・リーグとも8球団制でした。

それだけに、メリーランド州ボルティモアのサザン高校を卒業した後にタイガースと契約して当時としては破格の契約金35000ドルが支払われたこと、あるいはマイナー・リーグを経ずに大リーグの公式戦に出場した点に、ケーラインさんの資質の高さが窺われます。

入団直後に本拠地のブリッグス・スタジアムの選手控室に入ろうとしたところ、タイガースの選手とは思えないほど若かったために警備員に押しとどめられたことなども、ケーラインさんの公式戦への登場が異例の出来事であったことを物語ります。

実際、1955年に史上最年少となる20歳で首位打者となり、ゴールドグラブ賞を10回にわたって受賞するなど、見た目の線の細さとは異なる、走攻守のいずれにも秀でた実力を遺憾なく発揮しました。

ただ、打撃の主要部門を獲得したのは1955年の首位打者のみでした。

また、1955年と1963年にはMVP争いで2位となっているものの、前者はヨギ・ベラ、後者はエルトン・ハワードと、いずれもニューヨーク・ヤンキースの捕手の後塵を拝する結果に終わっています。これは、当時のヤンキースがケーシー・ステンゲルとラルフ・ハウクの監督の下で全盛期を迎えており、いずれの年もリーグ優勝を達成する一方、タイガースはどちらの年もリーグ5位に終わっていたとが影響しています。

しかし、ケーラインさんがタイガースにとって不可欠の選手であったことは、サンフランシスコ・ジャイアンツからケーラインさんの譲渡を打診された際、タイガースのゼネラル・マネージャーであったジム・キャンベルが見返りとしてウィリー・メイズ、ホアン・マリシャル、オーランド・セペダの3選手を要求したことからも明らかです。

すなわち、タイガースとしてはケーラインさん1人の価値は、いずれもジャイアンツだけでなく球界を代表する3選手に相当すると考えていたのでした。

あるいは、通算成績に目を向けると、本塁打数と四球、犠飛の各部門でタイガースの歴代1位を記録し、18回にわたってオールスター戦に選ばれるなど、名実ともにタイガースを代表する選手でした。

1953年にテッド・ウィリアムズから打撃の基本について助言を受けた10分ほどのやり取りの内容を自らの打撃の基礎としたケーラインさんは、1980年の野球殿堂選出を受けてタイガースが背番号「6」を球団初の永久欠番するなど、生涯にわたって「タイガースの英雄」として人々の尊敬を集めました。

引退後もタイガースの試合の中継で解説を務めるなど、67年にわたってタイガースとともに歩んだケーラインさんは、これからも「ミスター・タイガー」として人々の記憶に残ることでしょう。

<Executive Summary>
Critical Biography: Mr. Al Kaline, "Mr. Tiger" Is a Star of Detroit (Yusuke Suzumura)

Mr. Al Kaline, an outfielder of the Detroit Tigers, had passed away at the age of 85 on 6th April 2020. Mr. Kaline, a Hall of Famer and had more home runs, bases-on-balls and sacrifice flies than any Tiger who ever lived, is recognised as "Mr. Tiger", an iconic figure of the team.

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