【参加報告】第9回石橋湛山研究学会

昨日は、13時から17時30分まで立正大学9号館9B22教室において、第9回石橋湛山研究学会が開催されました。総合司会は、今回も私が担当する機会に与りました。

まず、会員総会が行われ、世話人会1名の退任に伴う人事が審議されるとともに、事務局長の交代が報告され、いずれも満場一致で承認されました。

次に第1部の研究報告では、布施豪嗣先生(慶應義塾大学)と和田みき子先生(明治学院大学)が登壇されました。司会進行は上田美和先生(共立女子大学)でした

布施先生は「石橋湛山の米穀専売制とアジア内分業」と題し、1918年の米騒動を契機として石橋湛山が提唱した米穀専売制度を取り上げ、石橋における日本と植民地や他の東南アジアの稲作国との関係を議論するとともに、専売制と輸入米の普及により日本の主たる産業を農業から紡績業に移行させるという石橋の主張の経済学的な背景を探り、さらに戦後になって石橋が提唱した新たな米穀専売制論との連続性が考察され、国際経済の観点から眺めることでその所論の新しい側面が何であるかが検討されました。

和田先生は「石橋湛山の1930年代の業績はなぜ葬られたのか」という論題により、1930年代に日本が直面したソーシャル・ダンピング問題について、日本がソーシャル・ダンピングを行っていないことを国際社会に対して積極的に発言した石橋の功績が戦後になって忘れ去られた経緯を、石橋の功績を記した大蔵省による報告書『日本人の海外活動に関する歴史的調査』が未完に終わったことや、戦後の日本の経済学で指導的な役割を果たした大内兵衛が農業と軽工業による立国を目指し、第1次吉田茂内閣で大蔵大臣となった石橋が積極財政を進めたことと対立していた点などから、検討しました。

また、第2部のシンポジウム「石橋湛山と国際政治」では、島田敏男先生(日本放送協会)の司会進行の下、北岡伸一先生(東京大学/国際協力機構)と藤原帰一先生(東京大学/千葉大学)が登壇され、それぞれ講演を行った後、討論と質疑応答がなされました。

北岡先生は、石橋湛山の特質を「経済発展主義」「反権力ではなく反権威」「楽観主義と積極主義」「根本を見据えた議論」といった点に求め、1920年代から戦後にかけての議論の特徴を検討されました。その結果、石橋は経済評論家であって外交評論家ではなかったため、議論の中に法律的な観点が弱かったこと、戦後の石橋の功績の1つに数えられる訪中や訪ソはそれぞれ文化大革命とソ連によるチェコ侵攻の前であり、過大な評価には注意が必要であること、その一方で戦前から戦後にかけての日本が置かれた状況を危惧しつつも将来への展望を失い続けなかったことなどが指摘されました。

藤原先生は、「石橋湛山を考えることは『もう一つの日本』を考えること」という視点から石橋湛山の議論を検討し、石橋が言論人として活躍した1920年代から1930年代は覇権なきリベラリズムの時代の時代であり、覇権とリベラリズムが結び付いた第二次世界大戦後の世界においては、米国のヘゲモニーに消極的な態度を示し、「もう一つの選択」を絶えず模索し続けたのであり、イデオロギーではなく、経済的自由主義に裏付けられた平和というプラグマティックな姿勢は、「孤立主義によって平和がもたらされる」のではなく「国際協調によってこそ実現する平和」という視点を提起されました。

その後の北岡先生と藤原先生の討論では、政界に進出した後の石橋湛山との関係で注目される政治家としてしばしば名前の挙がる吉田茂に加え、芦田均の重要さが指摘されたり、学者は「リベラリズム」「ヘゲモニー」「ナショナリズム」といったことを重視するが、政治家は重視しない、といった論点が示されました。

最後の質疑応答でも、会場と参加者との間で活発な意見の交換がなされ、石橋湛山の研究の広がりと新たな観点からの考究の可能性が実感されました。

<Executive Summary>
The 9th Conference of the Ishibashi Tanzan Society (Yusuke Suzumura)

The Ishibashi Tanzan Society held the 9th Conference at Rissho University on 17th December 2022. In this time there were two presentations and public symposium.

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