1956年の自民党総裁選から65周年目に思ういくつかのこと

今日、1956(昭和31)年12月14日(金)に自由民主党の総裁選挙が行われ、石橋湛山が岸信介を破って当選してから65年が経ちました。

従来、保守政党において党首の公選は行われてきませんでした。そのため、立候補者が揃った上で有権者が投票するという意味で本格的な選挙が実施されたこの総裁選挙は、自民党にとってだけではなく、日本の憲政史においても画期をなすものでした。

それだけに、臨時党大会の議長を務めた砂田重政が「きょうここで文字通りの総裁公選が行われる。わが憲政史上特記すべき事柄である。選挙にあたつては、もつとも厳粛かつ公正でありたい。また総裁が決定したあとは、あとに感情的シコリを残さぬようにしたい。」[1]とあいさつしたことは、前年に保守合同によって誕生した自民党の教示を示していると言えるでしょう。

ところで、この総裁選では、3億円、石橋派が1億5000万円、石井派が8000万円を使ったとさています されています。

こうした状況について、石橋湛山は日記に「岸、石井両氏と相争う体勢となり、金銭まで散布するに至っては心外至極なり。あえて立候補したるわけにはなけれど、候補に推され〔た〕ことをむしろ辞退すべきにあらずやとも考えさせられる。」[3] と記し、一時は金銭で票を買うかのような様相を示す総裁選に立候補したことに後悔の念をにじませています。

しかし、石橋は最後まで出馬を辞退することはありませんでした。また、岸信介や他の関係者の選挙資金に対する理解は、より寛容なものでした。

例えば、岸は「後の総裁選挙のようにはカネはかかっていませんよ」 [4]と回想し、石橋を支持した井出一太郎が「私の知っている範囲で」と前置きしつつ、「そう大きな黄白が動いたとは思われない。後々の総裁選挙に比べれば、まだこの選挙は、欠陥はそれほど大きなものではなかった」 [5]と指摘するように、金権的な総裁選ではなかったと述べています。

政治資金規正法の規定が今日に比べて緩やかであり、現金の授受が規制の対象ではなかったことを考えれば、関係者らの回想の内容が現在の感覚と異なるのは当然です。

その意味でも、1956年の自民党総裁選挙は当時の政界の置かれた状況をよく伝える、重要な証言と言えるでしょう。

[1]湛山会編, 名峰湛山. 一二三書房, 1957, 3頁.
[2]御厨監修, 渡邉恒雄回顧録. 中央公論新社, 2007年, 167頁.
[3]石橋湛一・伊藤隆編, 石橋湛山日記. 下巻, 2001年, 827頁.
[4]原彬久編, 岸信介証言録. 毎日新聞社, 2003年, 102頁.
[5]井出一太郎, 井出一太郎回顧録. 吉田書店, 2018年, 155頁.

<Executive Summary>
What Is a Meaning of the LDP's Presidential Election of 1956? (Yusuke Suzumura)

The 14th December, 2021 is the 65th Anniversary for the Liberal Democratic Party's Presidential Election of 1956 in which Ishibashi Tanzan won the campaign. In this occasion we examine a meaning of the election.


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