東京大空襲から76年に際して振り返る「東京大空襲と青山高校を巡るある逸話」

本日、1945年3月10日に米軍によって行われたいわゆる東京大空襲から76年が経ちました。

これまで、本欄では、第二次世界大戦の終結後、戦争の当事国となっていない日本にあって、空襲は経験した人を除いて急速に疎遠なものとなっているばかりでなく、体験した人たちの数も高齢化によって減少せざるを得ないこと、そして日本が空襲の当事者であったという記憶が風化するのではなく、記憶そのものが失われることにならざるを得ないことを指摘してきました[1]-[3]。

ここで思い出される逸話の一つが、私が卒業した東京都立青山高等学校の卒業生で、東京大空襲を青山高校の前身の東京都立第十五中学校の在校生として経験されたある方の話です。

この方は幸い空襲の被害を受けず、朝になって学校行くと、赤坂区青山北町、すなわち後に青山北町アパートが建てられた場所に所在した校舎も大きな被害を受けないままでした。

当時は、上級生とすれ違うと立ち止まって敬礼をしなければ拳固で殴られることもしばしばということでした。

この日も道すがら、登校する上級生とすれ違ったのでいつものように敬礼しようとすると、自分を上級生と勘違いしたのか、相手の方が先に敬礼したので、「違いますよ」とも言えず答礼で応えたのでした。

上級生から敬礼されることは予想もしなかったので大変に驚くとともに、相手も空襲が日常的であった中でもとりわけ大規模な空襲であったために気が動転していたのだろうと思われたそうです。

旧制中学校の生徒が経験した何気ない出来事からも、東京大空襲が人々に与えた物理的、精神的な衝撃の大きさが窺われます。

それとともに、東京大空襲の際は被災を免れた都立第十五中学校の校舎も、5月24日から25日にかけての東京大空襲、いわゆる山手大空襲で全焼し、現在の東京都立新宿高等学校の前身である都立第六中学校の校舎内に移転することになったのでした。

東京大空襲と青山高校を巡る、ある逸話でした。

[1]鈴村裕輔, 消失する東京大空襲の記憶を後世に伝えることの重要性は高まる. 2017年3月13日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/381c7a0082c71bf31b17e521a30e75ac?frame_id=435622 (2021年3月10日閲覧).
[2]鈴村裕輔, 年を追うごとに高まる東京大空襲の記憶を後世に伝えることの重要性. 2018年3月10日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/5e9667214156b96554156dceacbd5ef7?frame_id=435622 (2021年3月10日閲覧).
[3]鈴村裕輔, 「東京大空襲から75年」に際し戦災の記憶を後世に伝えることの意味を改めて考える. 2020年3月11日, https://researchmap.jp/blogs/blog_entries/view/76353/a563fcf21d2bbd33b2f94a357601d5b9?frame_id=435622 (2021年3月10日閲覧).

<Executive Summary>
An Episode of the Great Tokyo Air Raid Seen from a Student (Yusuke Suzumura)

The 10th March 2021 is the 76th Anniversary of the Great Tokyo Air Raids of 1945. In this occasion we introduce an episode for the Air Raids based on a memory of a student of the Fifteenth Tokyo Prefectural Junior High School.

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