権藤博さんの随筆「悠々球論」が示唆する「1920年の日本運動協会」

日本経済新聞は、2014年4月3日以来、木曜日の朝刊のスポーツ欄にプロ野球横浜ベイスターズの監督などを歴任した権藤博さんの随筆「悠々球論」を隔週で掲載しています。

毎回、球界に関する話題を投手、指導者としての自身の体験や知見をもとに説くのが、「悠々球論」の眼目であり、本日の話題ではプロ野球の試合時間の短縮に焦点が当てられていました[1]。

そして、「感染リスクを抑えることなどを考えれば、試合時間の短縮はより重要になる」と前置きした上で紹介されたのが、坪内道典による以下のような発言でした[1]。

そこで思い出したことが一つある。中日の大先輩でもあった坪内道典さんから聞いた話だ。
草創期のプロ野球は学生野球に対抗し「スピードでお客を呼ぼうとした」とのこと。
坪内さんは今のプロ野球が立ち上げられた1936年からプレーし、48年にはプロ野球初の通算1千安打を達成した。そんなプロ野球史の証人によると、当時、断然の人気を誇っていた学生野球との違いを打ち出すために掲げたのがスピードだった。

確かに、1958年に長嶋茂雄さんが読売ジャイアンツに入団するまで、日本の球界においては、学生野球、特に東京六大学野球が高い人気を得ていたことは広く知られるところです。

そのような背景を考えれば、坪内の発言には、学生野球に比べて相対的に注目度の低かった戦前の職業野球を取り巻く環境を伝えると言えます。

それとともに見逃せないのが、権藤さんは坪内のことを「今のプロ野球が立ち上げられた1936年からプレーし」と紹介した点です。

周知の通り、日本で最初の職業野球団は1920年に設立された日本運動協会です。

ただ、日本運動協会は1923年9月1日の関東大震災によって本拠地であった芝浦球場が戒厳司令部によって挑発されたこともあり、1924年に消滅しています[2]。そのため、現在のプロ野球の前身であり、1936年に発足した日本職業野球連盟がしばしば「日本最初のプロ野球」と称されます。

今回の権藤さんの「今のプロ野球が立ち上げられた1936年」という表現は、「日本職業野球連盟が日本最初のプロ野球ではない」ということを含意しますから、日本運動協会まで視野に収めている可能性が推察されます。

残念ながら、今年は日本運動協会の創立100年にあたるものの、「日本運動協会創立100年」といった催事などが積極的に行われる様子はうかがわれません。

それだけに、権藤さんの何気ない一文は、かえって日本の職業野球の歴史を現在に正確に伝えるための一助となっていると言えるでしょう。

[1]時間短縮 格好良さから. 日本経済新聞, 2020年5月14日朝刊33面.
[2]鈴村裕輔, 河野安通志と日本運動協会. ベースボーロジー, 6: 210-218, 2005.

<Executive Summary>
Mr. Hiroshi Gondo Gives a Remarkable Opportunity for History of Japanese Professional Baseball (Yusuke Suzumura)

Mr. Hiroshi Gondo, a former manager of the Yokohama Baystars, writes a colum entitled with Yuyu Kyuron (literally "Expansive Discussion on Baseball") run on The Nihon Keizai Shimbun by week. In the latest issue, Mr. Gondo paid a attention the origin of Japanese Professional Baseball started in 1920 by the Nihon Athletic Association.

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