『日本沈没』について思い出すいくつかのこと

来る12月26日(火)から12月28日(木)まで、文化放送は特別番組「『日本沈没』を探す旅」を放送し、同局が1973年に『日本沈没』をラジオドラマ化した『ここを過ぎて悲しみの都へ』(主演・中尾彬)をリマスター放送します[1]。

『日本沈没』といえば小松左京さんが1973年に発表した原作小説と、この年の12月に公開された映画が広く知られるものの、ラジオ版の知名度は高くないのが実情です。

それだけに、50年前の映画の公開日に合わせた特別番組の企画は、今や日本におけるSF小説やSF映画の古典とも言うべき『日本沈没』の持つ意味を改めて考えるためにも、意義深い試みとなります。

ところで、映画版はコンピュータグラフィクスではなく特撮の技法によって全編を制作するとともに、日本の沈没という想像を絶する事態に際しての国際社会の倫理と道徳の問題をわれわれに考えさせる優れた作品です。

特に際立った存在感を発揮したのが未曾有の状況に直面し、日本に住む人々を一人でも多く他の国や地域に対比させようとする山本首相を演じた丹波哲郎さんです。

東京を襲い、一夜にして首都圏360万人の命を奪った大地震の直後に自衛隊の備蓄食料が110万食であるとの報告を受け、「だって君、東京には…」と絶句する様子や、「日本民族の将来」を巡り、渡老人(島田正吾)から「何もせんほうがええ」と言われた際に溢れ出る涙をこらえる姿などは真に迫る力を持っており、台詞を覚えないことで有名な丹波さんの持ち味の良さが遺憾なく発揮された場面でした。

一方、原作の小説はその当時の最新の科学的な知見に基づきつつ、「海底1万メートルまで潜れる潜水艇わだつみ号」や位相学的確率論としての「ナカタ過程」など、架空の設定を巧みに織り込むことで物語に厚みと奥行きを与えています。

これに加えて、小松さんの濃密で時に饒舌となり、時に日常の光景を鋭く掘り下げる文体は、救いようのない現実という作品の魅力を象徴するものです。

例えば大地震後の東京で起きた食糧難を受けたインスタントラーメンを巡る逸話は、何も起きていなければ穏やかで満ち足りた日々を過ごしたであろう一家であっても列島の沈没をもたらす近くの大変動からは逃れられないことを告げており、読者にとって印象深い場面となっています。

このように、別件するだけでも様々な要素が細部に至るまで綿密に組み合わされつつ作り上げられた『日本沈没』は時代を超えて多様な意味を持つ作品として今も成長を続けています。

それだけに、来月の特集が一層楽しみなところです。

[1]「日本沈没」50年前のラジオドラマを再放送 年末特番で文化放送. THE SANKEI NEWS, 2023年11月21日, https://www.iza.ne.jp/article/20231121-VWPUS227E5KX5HMUNSL5F2BZJY/ (2023年11月22日閲覧).

<Executive Summary>
Miscellaneous Impressions of Sakyo Komatsu's Japan Sinks (Yusuke Suzumura)

The Nippon Cultural Broadcasting will broadcast the feature programme of Sakyo Komatsu's Japan Sinks for its 50th Anniversary on 26th through 28th December 2023. On this occasion, I express miscellaneous impressions of Japan Sinks.

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