党首討論は「無用な行事」か

昨日、国会の国家基本政策委員会合同審査会で行われた党首討論は、菅義偉首相の答弁が野党各党の質疑に対応していないこと、東京オリンピック・パラリンピックの開催を巡り菅首相が1964年の大会に関する思い出を6分近く話すなど、実に乏しいものとなりました。

1999年11月の試行から約22年、2000年2月の本実施から約21年を経て、与野党から歴史的な使命を終えたという指摘がなされるなど、「党首討論無用論」が高まりを見せています[1]。

確かに、今回のように質疑と答弁の内容が非対称的であることや、質問の趣旨とはかかわりのない回想が開催時間の約1割近くに及ぶことなどを考えれば、こうした意見も妥当であるように思われます。

一方で、国家の基本政策について各党党首が議論することを目的として党首討論が設けられたという経緯を考えれば、行政府の長である内閣総理大臣ではなく政権党の党首が反対党の党首と国会において討論する機会が失われることは、立法府ばかりでなく有権者にとっても大きな損失と言えるでしょう。

むしろ、党首討論が形骸化しているのは、定例的な開催とはなっていないことと開催に際して与党の同意が必要となっている点[2]を考えれば、「党首討論無用論」はこれらの問題点を解消した後に改めて検討されるべき課題となります。

その意味で、「党首討論無用論」は時期尚早な議論と言わねばならないのです。

[1]国民の疑問に応える党首討論へ改革を. 日本経済新聞, 2021年6月10日朝刊2面.
[2]田中信一郎, なぜ、国会は質問制度を強化してこなかったのか. 明治大学社会科学研究所紀要, 47(2): 197-211, 2009年.

<Executive Summary>
Is Debate of Party Heads a Useless Event? (Yusuke Suzumura)

On 9th June 2021 the Joint Session of the Both Diet held Debate of Party Heads. It is said that it is a kind of useless event, since frequency of holiding is too low. In this occasion we examine whether such opinion is true or not.

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