【評伝】ボブ・ギブソンさん--1960年代の大リーグに君臨した偉大な「フート」

現地時間の10月2日(金)、大リーグのセントルイス・カーディナルスに所属し、1981年にアメリカ野球殿堂入りしたボブ・ギブソンさんが逝去しました。享年84歳でした。

クレイトン大学を経て1957年にカーディナルスと契約したギブソンさんは、大リーグに昇格した1959年と翌年こそ成績は平凡であったものの、1961年に13勝を挙げて以降、1974年まで15年連続で二桁勝利を達成し、主力投手となりました。

投球後に一塁側に大きく体が流れる豪快な投法から相手打者の内角に速球と鋭く曲がるスライダーを繰り出すことで「首狩族」と呼ばれたり、ロデオ・カウボーイから俳優に転じたフート・ギブソンに因んで「フート」と称されたギブソンさんは、1960年代を代表する力投型の投手でした。

とりわけ1968年はギブソンさんにとっても大リーグにとっても節目となる年でした。

すなわち、アメリカン・リーグでデトロイト・タイガースのデニー・マクレーン投手が大リーグとして34年ぶりの30勝投手となれば、ギブソンさんはナショナル・リーグ最高の防御率1.12を記録したのでした。

1.12という防御率は大リーグで歴代4位ながら、1920年にいわゆる飛ぶボールが導入されて以降最高の数字であり、ギブソンさんに続くのが1985年のドワイト・グッデン投手の1.52、さらに1994年のグレッグ・マダックス投手の1.56であることからも、過去100年間で最も優れた記録の一つであることが分かります。

大リーグを代表する大打者であるハンク・アーロン選手が同僚選手に対して「ボブ・ギブソンに対して踏み込んではならない、彼は君を叩きのめすだろう。彼は、挑発する相手がいたら、たとえ自分の祖母であっても叩きのめすことだろう」と忠告したのは、制球力が必ずしも優れていないために投球が荒れがちになりながらも果敢に打者の内角を攻めたギブソンさんの様子を生きいきと描くものです。

一方、MVPと最初のサイ・ヤング賞を獲得した1968年には、ギブソンさんは「球をプレートの上に通し、多くの打者を歩かせないというのが信条」[1]と強気な発言を残しており、躍動感あふれる投球に制球力が結び付いたときの投球の凄味が窺われます。

ワールド・シリーズ通算92奪三振は歴代2位ながら、通算1位のホワイティ・フォード投手が146回を投げて94奪三振であったことを考えれば、81回で達成された記録はギブソンさんの投球の密度の高さを示しています。

躊躇なく対戦相手の内角を攻めるために他球団の選手と交流せず、オールスター戦でも他軍の選手と会話しないという様子は、試合に対する徹底した姿勢を物語ります。

1969年に大リーグ機構がマウンドの高さを15インチから10インチに、ストライクゾーンが狭められたのは、「投手の年」となった1968年の一方の立役者であったギブソンさんの面目躍如と言えるでしょう。

[1]Bob Gibson, Phil Pepe. From Ghetto to Glory: The Story of Bob Gibson. New Jersey: Prentice-Hall, 1968, p. 54.

<Executive Summary>
Critical Biography: Mr. Bob Gibson, Great "Hoot" Who Dominated the Baseball of the 1960s (Yusuke Suzumura)

Mr. Bob Gibson, a former pitcher of the St. Louis Cardinals and a member of the National Baseball Hall of Fame, had passed away at the age of 84 on 2nd October 2020. Mr. Gibson was one of the greatest pitcher and dominated the baseball of the 1960s.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?