【評伝】市川猿翁さんーー時代の潮流の中に生き新たな時代の潮流を作り出した歌舞伎俳優

去る9月13日(水)、三代目市川猿之助であった二代目市川猿翁さんが逝去しました。享年83歳でした。

復活通し狂言の上演や古典作品の新演出、新作の創造に意欲的に取り組み、いわゆるスーパー歌舞伎と呼ばれるたくらみと仕掛けに満ちた舞台を実現したことは、芸の道を求め、近代の歌舞伎にかつての大衆性と革新性を取り戻す試みに他なりませんでした。

一見すると荒唐無稽とも思われたスーパー歌舞伎は、伝統芸能と考えられがちな歌舞伎の可能性を広げ、日本の芸能史を考える上で猿翁さんの大きな功績となります。

芸術であれスポーツであれ、ある分野の可能性を高めるために不可欠なのは、垂直的な取り組みと裾野を広げる水平的な活動のあり方です。

例えば愛好家による楽団の存在意義は主として後者にあり、前者は専門家の団体が主として担う役割です。

このような考えに基づくなら、歌舞伎の表現のあり方を追求しつつ、歌舞伎そのものに親しまない人たちにも門戸を開いたいわゆるスーパー歌舞伎は、この両者の特長を併せ持った試みであると言えるでしょう。

ミュージカルへの挑戦(松本幸四郎さん)、テレビドラマでの活躍(片岡孝夫さん)など、昭和40年代に歌舞伎俳優の皆さんがその時々の最先端の分野に挑戦したのは歌舞伎は博物館の陳列品ではなく、今も生きている芸能であるという自負心とある種の危機感とが重なった結果です。

そして、1968(昭和43)年4月の国立劇場の公演『義経千本桜 川連法眼館』において狐忠信の宙乗りに挑んだ当時の猿之助さんも、間違いなく同時代の表現形式としての歌舞伎のあり方を模索した一人でした。

すなわち、外連味に溢れる演出の代表例と思われがちな宙乗りやスーパー歌舞伎は、決して人目を驚かそうとする奇異なものではなく、むしろ歌舞伎への深い愛情に支えられた取り組みでした。

何より、宙乗りにせよスーパー歌舞伎にせよ、歌舞伎俳優としての確かな力量がなければ成立しないのは明らかです。

この点については、2003(平成15)年10月に国立劇場で鑑賞した『競伊勢物語』において、当時の猿之助さんが演じた紀名虎と紀有常の存在感の高さは、古典を演じても当代屈指の存在であることを力強く証明していました。

一方、猿翁さんが猿之助時代に奔放ともいえる女性関係を抱えていたことも事実であり、一時は世間を騒がせたことは、当時を知る者にとっては忘れられないものです。

これらは、現在の価値の尺度からすれば人々の顰蹙するところとなるであろうことは間違いありません。それでも、当時の猿之助さんは部隊に出続けたことは、「芸の肥やし」の一言で済まされる時代ならではの出来事でした。

その意味で、猿翁さんは、特に猿之助の頃に時代の雰囲気を濃厚に身に纏っていたと言えます。

初代以来猿之助の名跡を途絶えさせないで来たことも含め、歌舞伎界に大きな足跡を残した市川猿翁さんのご冥福をお祈り申し上げます。

<Executive Summary>
Critical Biography: Ichikawa Eno II--A Kabuki Actor Who Lived with the Trend of the Time and Created the New Trend of the Time (Yusuke Suzumura)

Ichikawa Eno II, a Kabuki Actor being famous of "Super Kabuki", had passed away at the age of 83 on 13th September 2023. On this occasion, we examine his efforts and achievenets for the development of Kabuki.

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