【追悼文】生田正治さんについて思い出すいくつかのこと

去る11月13日(月)、日本郵政公社の初代総裁であった生田正治さんが逝去しました。享年88歳でした。

大学卒業後に入社した三井船舶では同社が大阪商船と合併して大阪商船三井船舶となり、さらにナビックスラインとの合併を経て商船三井となる中で、社長や会長を務め、関西経済界の重鎮として活躍したことは周知の通りです。

また、2003年には当時の小泉純一郎首相の再三の要請にこたえる形で日本郵政公社の初代総裁に就任し、郵政事業の活性化を推進したことでも知られます。

ところで、私も日本郵政公社総裁時代の生田さんとささやかながら関わりがありました。

すなわち、私の父方の祖母が、郷里の兄弟が危篤となったという一歩を受けた際、帰郷に先立って電報を打とうと郵便局に行ったところ、「うちにはレタックスはあるけれど電報はない」と告げられ、悄然と帰宅したということがありました。

もちろんレタックスと電報を混同し、本来であれば電話局に行くべきところを郵便局の窓口で取り扱いのない商品を頼んだ祖母が悪かったものの、「せめて電話局に行けばよい」という一言があればよかったのに、という叔母たちの話を聞き、このときの経緯と一手間かけることになるものの何らかの助言があれば高齢者にとって有益ではないかという趣旨のという意見をしたためた一書を日本郵政公社宛に送ったものでした。

すると、1か月後に「日本郵政公社総裁 生田正治」と印字された封書がわが家に届きました。

開封すると、中には1か月前の出来事に関する郵政公社総裁としての生田さんのお詫びと、関東郵政局長が直接祖母に謝罪に行きたいという内容が記された手紙が封入されていました。

運が良ければ利用者担当部門の責任者からの返信があり、多くの場合回答はないであろうと思っていたところ、意外な返信を受け取るとともに、手紙には墨跡も鮮やかな生田さんの署名があったことは、何よりの驚きでした。

「郵政民営化」が国論を二分するかのような状況を呈していた時期だけに、利用者の声に耳を傾けるという意味でも総裁が自ら署名した返書が送られてきたということかも知れません。

それでも、一人の利用者に対して丁寧に応じる姿勢に、生田さんの経営者としてのあり方の一端を見た思いがしたのも事実でした。

その後、生田さんは2007年の任期満了をもって総裁職を退任し、企業経営の第一線から退きました。

それだけに、この時の返書は、今もなお企業人としての生田さんをしのぶ、私にとっては重要なよすがとなっています。

改めて、生田正治さんのご冥福をお祈り申し上げます。

<Executive Summary>
Miscellaneous Memories of Mr. Masaharu Ikuta (Yusuke Suzumura)

Mr. Masaharu Ikuta, the First Head of Japan Post, had passed away at the age of 88 on 13th November 2023. On this occasion, I remember miscellaneous memoris of Mr. Ikuta.

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