【書評】伏見博明『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』(中央公論新社、2022年)

今年1月26日、伏見博明氏の『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』(中央公論新社)が刊行されました。

本書は伏見宮家の第24代当主で1947(昭和22)年に皇籍離脱を行った伏見博明氏に行った全10回の聞き取り調査の結果をまとめたもので、編者は古川江里子先生と小宮京先生です。

1409(応永16)年に成立し、天皇一家及び直宮家以外の旧皇族の「本家」、あるいは「もうひとつの天皇家」とも称される伏見宮家の最後の当主であり、戦後は皇籍を離れて一人の市民としての日々を送った伏見氏の足跡を振り返る本書が特に注目するのは、皇族の日常生活や、戦時中の皇族のあり方、さらに天皇と皇族の関係です。

例えば、幼少期から人前に立つための心構えを教えられ、学習院初等科に進学して以降は通学のために電車に乗る場合でも決して居眠りをすることはない、あるいは食事や就寝は伏見宮邸の広い自室で一人で行うといった逸話は、天皇を守るための存在としての宮家のあり方がどのようなものであったのかを示す格好の事例です。

また、皇籍離脱の際に昭和天皇が対象となった11の宮家の行く末を案じ、天皇家と旧皇族との交流の場である菊栄親睦会を設けたことや、家産のあった宮家は皇籍離脱後も一定の生活水準を維持できたものの、宮内省の土地を借りていた宮家はその後の税金の支払いなどで経済的に困窮し、さらに旧宮家を利用しようとする人々に騙されて不本意な生涯を送ることもあった、といった話も、11宮家を取り巻くその後の生活の過酷さを物語ります。

その一方で、15歳で皇籍を離脱した伏見氏が自ら将来への大きな期待を持ちながら新たな人生を踏み出し、「日本人がいないから」という理由でケンタッキー州に4年間留学して見聞を広めたこと、あるいは年の近しい当時の皇太子明仁親王との学習院時代からの交流などは、氏の屈託のない人柄をよく表しています。

惜しむらくは会社員時代の伏見氏の活動に割かれた紙面がわずかであったことで、これは一面において本書の主題との関係の結果であり、他面では現在でも会社員時代に関わりのあった人たちとの利害関係に配慮したためであることが推察されます。

しかし、こうした点は本書の持つ意義を損なうものではありません。

現在、皇位継承権者が3名のみとなり、安定した皇位の継承そのものが危うくなるなど、皇室のあり方はこれまで以上に重要な問題となっています。

そうした中で旧宮家の皇籍への復帰も、問題の解決のための選択肢として議論されています。

一見すると適切な案のようにも思われる考えながら、本書が示す皇族としての生活のあり方は、「生まれながらの民間人」となった旧宮家の人々がはたして皇族に求められるあり方の基準をどこまで満たせるかが新たな問題になりうることをわれわれに教えます。

その意味でも、『旧皇族の宗家・伏見宮家に生まれて』は戦前の皇族の行動様式を活き活きと伝えるだけでなく、「皇族とは何か」、「皇位の安定的継承の何が問題か」を考えるための格好の手掛かりとなる一冊と言えるでしょう。

<Executive Summary>

Book Review: Hiroaki Fushimi's "Born in the House of Fushimi-no-Miya: The Originator of the Former Imperial Families" (Yusuke Suzumura)

Mr. Hiroaki Fushimi published a book titled "Born in the House of Fushimi-no-Miya: The Originator of the Former Imperial Families" from Chuokoron-shinsha on 26th January 2022.

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