「戦間期の石橋湛山と軍首脳の関係」で思ういくつかのこと

『石橋湛山全集』第15巻(東洋経済新報社、2011年)に掲載された石橋湛山の年譜を確認すると、第一次世界大戦の終結から第二次世界大戦の開戦までのいわゆる戦間期に、軍部の首脳と会談していることが分かります。

石橋が面会した主な顔触れとしては、荒木貞夫、宇垣一成、高橋三吉、永田鉄山などの名前が挙げられます。

例えば、荒木については1933(昭和8)年に政府の財政についての試案を提出し、1935(昭和10)年5月13日の対談では軍事費の膨張に警告を発しています。あるいは、1933年に永田鉄山を招いて日中関係について懇談していることが分かります。

東洋経済新報社は太平洋戦争中に軍部の要望に応じる形で『大陸東洋経済』と『香港東洋経済新報』を刊行していますし、戦後になって政界に進出した石橋湛山が石橋派を結成した際には、元大本営参謀の辻政信が参画するなど、東洋経済新報社や石橋湛山と軍部の関係は決して浅いものではありませんでした。

戦中の軍部との関係について石橋湛山が「「東洋経済」も実際は、軍部にお手伝いをしなかったわけではないですね。」[1]と指摘したこと、あるいは特に1932(昭和7)年の五・一五事件以降軍部が政治への関与を強め、軍部との関係なしには国政の円滑な運営が難しかったを考えれば、こうした状況は、ある意味で現実的な対応であったと言えるでしょう。

その一方で、石橋湛山や東洋経済新報社と軍人との関わりについての研究は必ずしも十分とは言えません。

それだけに、このような話題は今後の石橋湛山研究の一層の発展のために不可欠な視点となることでしょう。

[1]石橋湛山, 湛山座談. 岩波書店, 1994年, 47頁.

<Executive Summary>
What Is an Important Topic of a Research for Ishibashi Tanzan? (Yusuke Suzumura)

There are some relationship between Ishibashi Tanzan and military leaders in the mid-war period. It might be an important topic of a research for Ishibashi Tanzan to examine such relationships.

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