田沢ルールに対する日米で温度差

去る11 月9 日(月)、日刊ゲンダイの2020年11月10日号26面に連載「メジャーリーグ通信」の第80回「田沢ルールに対する日米で温度差」が掲載されました[1]。

今回は、今年9月に廃止されたいわゆる「田澤ルール」を巡る日米球界の「温度差」の背景を検討しています。

本文を一部加筆、修正した内容をご紹介しますので、ぜひご覧ください。

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田沢ルールに対する日米で温度差
鈴村裕輔

2020年の日本のドラフト会議の大きな話題の一つは、2008年に設けられたいわゆる「田澤ルール」の廃止と、レッズ傘下のAAA級ルイビル・バッツを経てルートインBCリーグの埼玉武蔵ヒートベアーズに所属する田澤純一を指名する球団が出るか、という点であった。

「田澤ルール」は、アマチュア選手が日本のプロ野球のドラフト指名を拒否し、直接外国のプロ球団と契約した場合、大学卒業者と社会人は2年間、高校卒業者は3年にわたり、外国球団を退団した後もプロ野球12球団と契約できないという申し合わせ事項だ。

アマチュア選手が日本ではなく大リーグを含む海外の球界を選ぶのは選手本人にとって日本のプロ野球が「1番興味のあるリーグではなかったということ」というのが選手会の主張であり、経営者側は田澤の事例を容認すれば今後、有力なアマチュア選手の「流出」が続いてドラフト制度が崩壊するという懸念があった。

一方、大リーグ機構は、日本側と双方のドラフト候補選手との交渉は行わないという紳士協定を結んでいた。だが、田澤のようにアマチュア選手自身が大リーグへの挑戦を希望している場合、本人の意思を尊重しないのは職業選択の自由に反するとして、機構は紳士協定の適用除外を明言した。この時、日本側との交渉を担当したのは、当時機構の労務担当副会長であったロブ・マンフレッドだった。

日本では「田澤ルール」は田澤の問題が解決した後も関係者の大きな注目を集め、申し合わせそのものが廃止された現在も、公正取引委員会が「田澤ルールは独禁法違反のおそれがあった」という見解を示した。

これに対し、米国では「田澤ルール」が話題となる機会は乏しい。わずかに2012年のドラフト会議の直前に、当時花巻東高校3年生であった大谷翔平が日本のドラフトを拒否して直接大リーグ球団と契約する可能性が取り沙汰された際、日本のアマチュア選手が置かれた状況を説明するために「田澤ルール」が「タザワ・ペナルティ」として紹介された程度である。

日米の球界の「田澤ルール」に対する態度の差は、日本側が人材を提供する側であり、大リーグが受け入れ側である点に由来する。

プロ球団のドラフト会議で指名される水準に達している選手に限りがある以上、有力選手が一人抜けることは、少なくとも戦力補強という点で各球団の選択肢を狭める。

しかし、毎年各球団がドラフト会議で合計1500人以上を指名する大リーグにとっては、日本のアマチュア選手も多くの高校、大学の選手と同じ、「多くの選手の中の一人」でしかない。

このように考えれば、米国において「田澤ルール」の廃止が話題とならなかったのも当然のことだったのである。
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[1]鈴村裕輔, 田沢ルールに対する日米で温度差. 日刊ゲンダイ, 2020年11月10日号26面.

<Executive Summary>
What Was a Meaning of the "Tazawa Rule" for the MLB? (Yusuke Suzumura)

My article titled "What Was a Meaning of the "Tazawa Rule" for the MLB?" was run at The Nikkan Gendai on 10th November 2020. Today I introduce the article to the readers of this weblog.

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