真珠湾攻撃から82年目に考えるいくつかのこと
本日、日本時間の1941(昭和16)年12月8日に日本軍がハワイの真珠湾を攻撃するとともに、米英に宣戦布告してから82年目を迎えました。
この間の日本側による対米交渉の過程や、米国側の対応については、研究書や啓蒙書、一般書だけでなく、映画やテレビ番組などを含め、様々な情報が提供され、その輪郭を鮮やかに描き出せるのは周知の通りです。
それとともに、緒戦の予想外の成功が一面において日本国内に先行きへの楽観的な見通しをもたらし、他面では米国に参戦の口実を与えたことも、広く知られるところです。
特に、フランクリン・ルーズベルト大統領が上下両院合同会議で行った演説は、20世紀の政治史を考える際に欠かせないものです。また、ルーズベルト大統領の演説に対する議員たちの熱狂的ともいえる反応は、日本側の攻撃がかえって米国の世論の一体化をもたらしたことを推察させます。
一方、日米の開戦によって在米の日系人が適正外国人として収容所に収容され、過酷な生活を余儀なくされるだけでなく、一部は国家への忠誠心を示すために日本との戦いに志願したことも忘れられません。
このような日系人将兵が戦争の帰趨に果たした役割は小さくなかったものの、その存在がわれわれにとって縁遠いものであるという点も否めません。
それだけに、82年前の今日起きた出来事がどのように推移し、人々にいかなる影響を与えたかは改めて思いを致すに値することですし、たとえ1年のうちに1日だけであるとしても、そのような機会を持つことの意味は大きいと言えるでしょう。
今や歴史のかなたに過ぎ去ったかに思われる真珠湾攻撃も、依然として今日的な価値を有するのです。
<Executive Summary>
Remember Some Aspects of the Attack on Pearl Harbour--On the Occasion of Its 82nd Anniversary (Yusuke Suzumura)
Today is the 82nd Anniversary of the Attack on Pearl Harbour by the Forces of the Empire of Japan. In this occasion, we examine a meaning of the attack for both Japan and the USA.
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