【旧稿再掲】ユニフォーム着こなし最前線(III)

2010年4月、私も寄稿者の一人として参加し実業之日本社から実用百科の一冊として『野球道具天国』が刊行されました。

その中の一報に「ユニフォーム着こなし最前線」[1]があり、野球におけるユニフォームの発展の過程と2010年時点における最新の動向を検討しました。

そこで、今回は4回の予定でご紹介する本論の草稿の第3回目をお届けします。


斬新すぎたユニフォーム
さて、ユニフォームの流行は、基本的に「米球界から日本球界へ」という動きをもっている。しかし、日米間に直接の結びつきがなかったのに、同じ傾向のユニフォームが生まれたこともある。日拓ホームフライヤーズとヒューストン・アストロズのユニフォームがそれだ。

フライヤーズが、「パシフィック・リーグの活性化のため」と銘打って7種類のユニフォームを導入したのは1973年のことであった。

前後期制下のこの年、フライヤーズは後期から配色や意匠がすべて異なる7種類のユニフォームを導入した。7種類の内訳は本拠地用4種類、敵地用3種類で、毎試合異なるユニフォームを着用したのである。

もし、当時の強豪阪急ブレーブスが7色のユニフォームを利用していたのなら他球団も追随したかもしれない。

だが、当時のフライヤーズは弱小球団の部類に属したため、親会社の日拓が1年限りで球団を売却して1974年から日本ハムファイターズとなったのを機に、この7色のユニフォームも廃止された。

決して安くはない投資をともなったユニフォームも、3ヵ月で見納めとなったのである。

一方、1975年から1993年までレインボーカラーを球団の色としたのは、大リーグのヒューストン・アストロズである。

アストロズは1975年にロゴマークを改めたが、それに合わせて、赤、橙、黄を基本とする目にも鮮やかなユニフォームを新調した。しかも、「白地が基本」という常識を打ち破り、胴部を虹色の線で取り囲んだのだ。

だが、当初は選手と観客の話題をさらったこのユニフォームも、「華美」、「派手」、「品がない」といった周囲の声には逆らえず、最後は袖周りに「レインボー」の名残をとどめながら、1993年に役目を終えた。

そして、1994年からは当時流行の躍動的で機能美を備えたロゴマークとユニフォームを導入したのである。

しかも、この変更後にそれまで3回だったプレーオフ進出を6回達成したのだから、「レインボーカラー」は球団の記念企画以外での出番を失ってしまった。


[1]鈴村裕輔, ユニフォーム着こなし最前線. 野球道具百科. 実業之日本社, 2010年, 82-85頁.

<Executive Summary>
The Latest Trends of Baseball Uniform (III) (Yusuke Suzumura)

I wrote an article "The Latest Trends of Baseball Uniform" for a book named Baseball Equipment Encyclopedia published in April 2010. On this occasion, I introduce the first section of the article.

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