【書評】室靖治『「記録の神様」山内以九士と野球の青春』(道和書院、2022年)

去る6月30日(木)、室靖治さんの『「記録の神様」山内以九士と野球の青春』(道和書院、2022年)が刊行されました。

本書はプロ野球パシフィック・リーグの第2代記録部長を務めたほか、野球規則の検討や1936年に始まる日本職業野球連盟とその後継組織による公式戦の記録の整備など、野球界の発展の基盤を支えた山内以九士の人となりを、孫である著者が描く一冊です。

新聞記者として培った取材や調査の能力をいかんなく発揮して山内が残した随筆や論考を渉猟し、関係者への聞き取りを徹底して行うとともに、「母方の祖父が山内以九士」という他の追随を許さない立場を最大限活用し、親族だからこそ知ることのできる日常生活の様子や豊富な図像資料を織り込むことで、山内以九士という一人の人物を通して1910年代から1970年代初頭までの日本の野球界の変遷を辿れるのは、本書の大きな特徴の一つです。

また、話をしながらでも編み棒を動かせるほど編み物に熟練し、福砂屋のカステラが大の好物で、煎茶にも一家言持ちながら、自分一人では湯を沸かすことさえできないという逸話はなど、しばしば「奇人」「変人」と称された山内の趣味人ぶりと生活力のなさを示します。

一方、「家の敷地を通るだけで宍道湖まで行ける」と称されるほどの財力を誇り、島根県松江市を代表する豪商であった山内佐助商店の跡取り息子に生まれながら、家業ではなく野球に関わる仕事にあらゆるものを注ぎ込んで取り組んだことで家運が傾き一家が零落する姿は、一つのことに全てを賭けることの崇高さと悲惨さをも伝えます。

それとともに、徴兵検査で丙種合格となるほど体躯には恵まれなかったものの記録に傾ける情熱は他の追随を許さないという山内のような人物がいたからこそ、社会的な地位の低かった職業野球が技術だけでなく制度の面でも発展できたことを具体的な逸話に基づきつつ丹念に実証する本書の姿は、野球を行うのも、観るのも、そして記録するのもいずれも人間であるという、ごく当然ながらわれわれがしばしば忘れがちな事実を改めて教えるものです。

職業野球の草創期から発展期という「プロ野球の青春時代」を駆け抜け、『ベースボール・レディ・レコナー』のような米国球界も注目する画期的な成果を残して日本球界の進歩に大きく貢献するとともに、長女を30歳で失うと2人の遺児をとりわけ可愛がるなど、山内は多岐にわたる相貌を持ちます。

その意味で、『「記録の神様」山内以九士と野球の青春』は山内以九士をよりよく知るだけでなく今後の山内研究の出発点となるとともに、野球という競技の持つ奥行と幅の広さを鮮やかに映し出す好著と言えるでしょう。

<Executive Summary>
Book Review: Myasuji Muro's "Yamanouchi Ikuji, the God of Baseball Records, and the Springtime of Baseball" (Yusuke Suzumura)

Mr. Yasuji Muro published book titled Yamanouchi Ikuji, the God of Baseball Records, and the Springtime of Baseball from Dowa Shoin on 30th June 2022.

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