「マックス・ヴェーバーの没後100年」に際して思い出したいくつかのこと

今日は、マックス・ヴェーバーが1920年6月14日に没してからちょうど100年目となります。

そこで、今回は、私のささやかなヴェーバーにまつわる体験をご紹介したいと思います。

私が初めてヴェーバーの著作を読んだのは、東京都立青山高等学校の2年生の時でした。

高校1年生の時の倫理の授業の中でヴェーバーの名前が挙げられ、所論の概説を聞いて興味深く思っており、学校の図書室で借り出した『職業としての学問』(翻訳:尾高邦雄、岩波書店、1936年)と『職業としての政治』(翻訳:脇圭平、岩波書店、1980年)を読んで興味深く感じられたため、自宅から最寄りの東急東横線都立大学駅にある八雲堂書店の2階の文庫本売り場でこの2冊を買い求めたものでした。

大学の進路を決める際、「方法論を体系的に学ばないといけないから」と政治学、社会学及び歴史学を専攻しようと考えていたのは、今から思えばヴェーバーの著作も少なからず影響していたと言えるかも知れません。

ただし、実際には「文献を読み、思索を深めればよい」と思っていた哲学科に進学したこともあり、大学1年生の一般教養科目「社会学」を受講し、社会学の発展の歴史を学ぶ中でヴェーバーの話題に接したものの、ヴェーバーの議論を主体的に考究することはありませんでした。

その様な中でヴェーバーの著作を本格的に講読することになったのは、大学院博士後期課程の2年目からのことでした。

すなわち、毎回の演習で『古代社会経済史』(翻訳:渡辺金一、弓削達、東洋経済新報社、1959年)や『ヒンドゥー教と仏教』(翻訳:深沢宏、東洋経済新報社、2002年)、あるいは『儒教と道教』(翻訳:木全徳雄、創文社、1987年)などを精読したのでした。

この講読の成果は、私の博士論文「清沢満之における宗教哲学と社会」の中で、「宗教と社会ないし国家との緊張関係」[1]や、仏教は理論的には何らかの超現世的で神的な実在の導入を予想しうるものの、仏陀は涅槃において永遠に世界から消え、仏陀自身、あるいは仏陀単独では最高の世界神を示しえなかったという指摘[2]などを参照しながら議論を行うという形で活かされることになりました。

残念ながら大学院博士後期課程を修了してからは、ヴェーバーとの接点は再び乏しいものとなっているのが実情ではあります。

それだけに、没後100年を機に、改めてヴェーバーの論考を手にしようと思うところです。

[1]Weber, M., Die Wirtschaftsethik der Weltreligionen, in: Gesammelte Aufsätze zur Religionssoziologie, Bd. 1, Verlag J.C.B. Mohr, 1920, SS. 536-573.
[2]ウェーバー(深沢宏訳), ヒンドゥー教と仏教. 東洋経済新報社, 2002年, 350頁.


<Executive Summary>
Weber and I: Max Weber on the 100th Anniversary of His Death (Yusuke Suzumura)


The 14th June 2020 is the 100th anniversary of the Death of Max Weber. In this occasion I remember some episodes concerning on Weber.


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