【評伝】フィル・ニークロさん--7人の大統領を経験した息の長い大投手

現地時間の12月26日(土)、大リーグの投手で活躍したフィル・ニークロさんが逝去しました。享年81歳でした。

肩や肘への負荷が少ないとされるナックルボールを駆使し、1964年に当時のミルウォーキー・ブレーブスに昇格してから1987年に引退するまで24年にわたって大リーグで活躍し、歴代最年長となる46歳で通算300勝を達成し、最終的な勝利数を318まで積み上げて1997年に野球殿堂に選出されたことは広く知られるところです。

ニークロさんのナックルボールがどれだけ効果的であったかという点については、やはり野球殿堂に選出されているウィリー・スタージェルさんが「ニークロのナックルボールはしゃっくりをしている蝶のようだ」という表現で、球の軌道の不規則さが打ちにくいことを指摘していることからも容易に理解されます。

その一方で、変化が不十分な時には単なる遅い球となるナックルボールは、相手打者に打ち込まれる危険を絶えず含みます。

1977年から1980年まで4年連続で敗北数がナショナル・リーグ最多であったこと、特に1979年は21勝を挙げて最多勝となり、1年のうちに最多勝と最多敗戦を達成したのは、ある意味でナックルボールを頼りとする投手の面目躍如ともう言うべきものでした。

また肩や肘への負荷の少なさというナックルボールの特徴は、ニークロさんが大リーグで24年、1959年にマイナー・リーグD級のマクック・ブレーブスに参加してから29年にわたって現役選手であったことや、40歳以降としては歴代最多となる121勝を記録したことが示す通りです。

この間、米国ではアイゼンハワー、ケネディ、ジョンソン、ニクソン、フォード、カーター、レーガンと7人の大統領が政権を担当していますから、ニークロさんの活動の息の長さが実感されます。

実際、やはりナックルボールを投じる実弟のジョー・ニークロさんもヒューストン・アストロズなどを中心に大リーグで22年に在籍し、1979年にはニークロ兄弟が21勝で最多勝を分け合うなど、通算221勝を挙げています。

しかし、ナックルボールは自らの最大である特長であるだけに、他の選手に決して握り方や投げ方を教えることはしませんでした。それだけに、1980年2月に中日ドラゴンズのキャンプに臨時コーチとして来日した際に「中日の投手にはすべてをコーチしたい」と発言したのは、自らを招聘したドラゴンズへの最大限の配慮であったと言えます。

ところで、ニークロさんはNBAのボストン・セルティックスで活躍した名選手ジョン・ハブリチェックさんと同郷で、弟を含む3人で多くのスポーツに触れながら成長しました。

競技の垣根を超えた親友であったハブリチェックさんは2019年4月に逝去しており、その葬儀で弔辞を読んだニークロさんが1年後に後を追うように長逝したことは、生前の交流の深さを考えれば、ひときわ印象的です。

父であるフィル・シニアから教えられたナックルボールで大リーグに一時代を画したニークロさんの名前は、「ナックシー」という綽名とともに、球史に朽ちることなく刻まれているのです。

<Executive Summary>
Critical Biography: Mr. Phil Niekro, "Knucksie" Was a Professional Ballplayer with Seven US Presidents (Yusuke Suzumura)

Mr. Phil Niekro, a former pitcher for five MLB teams including the Atlanta Braves and the New York Yankees and a member of the National Baseball Hall of Fame, had passed away at the age of 26th December 2020. Mr. Niekro was the best knuckleball pitcher in the history of the Major League Baseball.


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