麻生財相の「民度が違う」発言の何が批判されるべきか

6月4日(木)、麻生太郎財務大臣は参議院財政金融委員会において、日本の新型コロナウイルス感染症による死者が欧米の主要国と比べて少ないとし、「民度のレベルが違う」ことを理由として挙げました[1]。

麻生財相の発言に対しては、野党の一部から批判がなされています[2],[3]。

もとより、国民の程度の高低が新型コロナウイルス感染症による死者の多寡と関係するという麻生財相の見解は疫学的な知見に基づくものではなく、文化や制度の比較によって得られたものでもありません。

従って、「国民の民度のレベルが違う」という指摘は麻生財相の臆見に過ぎないことは明らかです。

もし、今回の発言が批判されるに値するなら、その理由は「世界中で差別や分断でなく、連帯が大切といううねりが起こっているときに、平気でこういう発言をする」[2]ことでも「国籍を問わずコロナ感染症で亡くなった方、そのご家族のお気持ちに寄り添わず、「民度」の違いとの認識を国会で披露」[3]でもありません。

むしろ、誰もが検証し得る合理的で客観的な前提と根拠に基づいて事態を分析するのではなく、憶測によって状況を判断し、外国の首脳に謬見を披歴したことに求められます。

その意味で、少なくとも現時点では麻生財相の不適切な発言に対して、野党側も不適当な批判を行っていると言えます。

かねてから放言や失言が世論の顰蹙するところとなり、「完遂」を「かんつい」、「踏襲」を「ふしゅう」、あるいは「未曾有」を「みぞゆう」と読むなど教養の程度に疑問が呈されてきた麻生財相[4]であるとしても、片言隻句を捉えて批判することが許されるということはありません。

かえって、批判すべき事柄を誤ることなく批判するのでなければ、批判する側の力量が問われかねないのです。

[1]麻生氏 死者少ないのは「民度が違う」. 朝日新聞, 2020年6月5日朝刊4面.
[2]志位和夫. "「コロナ死者少ないのは『民度が違うから』」世界中で差別や分断でなく、連帯が大切といううねりが起こっているときに、平気でこういう発言をするとは。そりゃ「みんな絶句して黙る」でしょうね。". 2020年6月4日20時19分, https://twitter.com/shiikazuo/status/1268502712699633664 (2020年6月6日閲覧).
[3]蓮舫・立憲民主党 (りっけん). "貴方はどれだけ偉いのでしょう、麻生大臣。国籍を問わずコロナ感染症で亡くなった方、そのご家族のお気持ちに寄り添わず、「民度」の違いとの認識を国会で披露。日本の財務大臣発言として海外に発信されてほしくない。コロナ死者少ないのは「民度が違うから」麻生氏". 2020年6月4日18時10分, https://twitter.com/renho_sha/status/1268470145170587649 (2020年6月6日閲覧).
[4]「踏襲」を「ふしゅう」なんて序の口 麻生首相の「とてつもない漢字力」. 週刊朝日, 2008年11月28日号, 126頁.

<Executive Summary>
What Is a Problem of Finance Minister Taro Aso's "Higher Level of Social Manner Issue"? (Yusuke Suzumura)

Finance Minister Taro Aso said that Japan's relatively low mortality rate from the COVID-19 reflects the country's "higher level of social manners" on 4th June 2020. In this occasion we examine what is a problem of his mention.

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