野田佳彦元首相による安倍晋三元首相への追悼演説はいかなる意味を持つか

昨日、衆議院本会議において安倍晋三元首相への追悼演説が行われ、立憲民主党の野田佳彦元首相が演説しました。

追悼演説の中で、野田氏は自らの首相在任中に野党第1党の自民党総裁であった安倍氏との間で行われた2012年11月14日の党首討論を最も鮮烈な印象があった出来事して回想するとともに、同年12月の総選挙を受けて野田氏が退陣した際に安倍氏から「自分は5年で返り咲いた、あなたにもその日が来る」と声をかけられたこと、あるいは第1次安倍政権の標語であった「再チャレンジ」に言及し、安倍氏が自ら「再チャレンジ」を実践したことなどを挙げつつ、不慮の遭難を悼みました。

また、安倍氏の内閣総理大臣としての事績について、評価すべき点と批判されるべき点を不断に問い続けることの必要さを指摘したことも、反対党の一員として演説に臨んだ野田氏ならではの内容であったと言えるでしょう。

これに加えて、安倍氏が再度政権を担当してから唯一首相公邸で密会した2017年1月20日の様子に触れ、いわゆる天皇陛下の生前退位問題について政争の具とせず、国論を二分しないよう、立法の総意を形成するという点で両者の見解が一致したという逸話を紹介したことは、これまで公にされてこなかった話題だけに、今後、この問題を考える際に重要な手掛かりが示されたことになります。

今回野田氏が追悼演説を担当することになった背景には、当初安倍氏と親密な関係にあった甘利明自民党前幹事長を担当させようとしたことが国会内だけでなく世論の反発も受けたため撤回されたという経緯があります。

浅沼稲次郎に対する池田勇人、小渕恵三に対する村山富市というように、従来は他党の中で関係の深い議員が追悼演説を読み上げるというのが衆参両院の慣習でした。

しかし、近年の衆議院においては遺族の意向を尊重し、物故した国会い議員が所属していた政党の議員でも追悼演説を行えるようになっています。

もちろん遺族の意向は重要であるものの、党派を超えて故人を悼むという趣旨からすれば他党の関係者が追悼演説を行うことの意味は小さくありません。

実際、甘利氏が担当していれば、今回野田氏が披露したような未公開の逸話が紹介されることも、生前の取り組みの光と影を評価するといった積極的な発言はなかったことでしょう。

首相経験者しか共有できない孤独さや重圧がよく示されていた、といった趣旨の評価が与野党を問わず寄せられたこと[1]は、野田氏を起用したことが適切な人選であったことを示唆します。

その意味でも、今回の野田佳彦元首相による安倍晋三元首相への追悼演説を機に、党派色が比較的参議院が現在も他党の関係者に依頼している状況に鑑み、衆議院においてもよりよい追悼演説のあり方が模索されることが期待されます。

[1]「経験者にしかできなかった」. 日本経済新聞, 2022年10月26日朝刊4面.

<Executive Summary>
What Is a Meaning of Former Prime Minister Yoshihiko Noda's Memorial Address for Former Prime Minister Shinzo Abe? (Yusuke Suzumura)

The Memorial Address for Former Prime Minister Shinzo Abe was held by Former Prime Minister Yoshihiko Noda at the House of Representatives on 25th October 2022. On this occasion we examine a meaning Mr. Noda's speech for the address itself.

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