【追悼文】レオン・フライシャーさんにまつわるいくつかの思い出

昨日、米国のピアノ奏者で指揮者のレオン・フライシャーさんが逝去しました。享年92歳でした。

1952年のエリザベート王妃国際コンクールのピアノ部門で優勝したフライシャーさんが1960年代初めに神経障害であるジストニアにより右手の自由を失い、教育と指揮の分野に転身したこと、1980年代には左手だけを用いてピアノ奏者として復帰したこと、さらにボツリヌス菌を注入する治療の成功により、2004年に40年ぶりに両手による演奏を録音したことは周知の通りです。

また、日本では1992年9月から1998年9月まで新日本フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務めたほか、大阪フィルハーモニー交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団などにも客演しており、指揮者として多くの実績を残してきました。

ところで、私がフライシャーさんのピアノの演奏を直接耳にしたのはただ1回のみ、すなわち、2008年5月11日(日)にNHKホールで行われたNHK交響楽団の第1619回定期公演でした。

この日は前半にベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番、後半にパヌフニクの『カティンの墓碑銘』とルトスワフスキのオーケストラのための協奏曲で、指揮は尾高忠明、ピアノ独奏がフライシャーさんでした。

聞きなれた「皇帝」協奏曲であったためか、あるいは両手での演奏に復帰してから4年後のことであったためか、この日のフライシャーさんの演奏は概して硬く、そしてどことなくよそよそしいものでした。

むしろ、5日後の5月16日(日)の第1620回定期公演でブルーノ・レオナルド・ゲルバーがベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を煌めく音の連なりによって奏でたことと相俟って、ピアノ奏者にとって腕の自由が利かなくなること、そして病気から復帰するだけでなく演奏の水準を取り戻すことがどれほど難しいかと思われました。

もちろん、「百年に一人の逸材」と評された技量に接する機会が録音を通してのみであったことは残念ではありました。

しかし、会場で感じられた硬さとよそよそしさの中にほのかな温かさを認めらたことは、フライシャーさんの音楽そのものへの迫り方が技巧から作曲者の胸中に飛び込むような境地に達したのではなかろうかと推察されたのでした。

難病を克服し、しかも再び演奏活動の第一線に立ったフライシャーさんの足跡は、音楽に対する接し方の可能性を広げたものと言えるでしょう。

改めて、フライシャーさんのご冥福をお祈りします。

<Executive Summary>
Miscellaneous Impressions of Dr. Leon Fleisher (Yusuke Suzumura)

Dr. Leon Fleisher, a pianist, conductor and educator, had passed away at the age of 92 on 2nd August 2020. On this occasion I express miscellaneous impressions of Dr. Fleisher.

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?