【追悼文】田勢康弘さんについて思い出すいくつかのこと

2月8日(水)、日本経済新聞の客員コラムニストの田勢康弘さんが逝去しました。享年78歳でした。

日本経済新聞の政治記者として出発した田勢さんが論説副主幹やコラムニストを歴任し、早稲田大学教授を経て同紙の客員コラムニストを務め、論説や時事評論などで健筆を振るったことは広く知られるところです。

また、1992年に自民党の分裂と非自民連立政権の誕生を指摘したり、2007年の参院選で当時の民主党の勝利を予測するなど、政局の判断や選挙の分析にも定評があったのが田勢さんです。

そのような田勢さんの一連の時評の中で私が最も印象深く思うのは、1995年3月14日に日本経済新聞に掲載された「本来の職分を果たせ」です[1]。

当時大きな社会問題となっていた官僚批判について、官僚はどうあるべきかを考えることは意思決定システムとしての政治のあり方そのものを考えることであるという視点に基づく本論では、「システムとしての官僚批判」と「生きざまとしての官僚批判」とが挙げられています。

すなわち、前者については、

(1)国益を無視した縦割り行政
(2)熾烈な縄張り争い
(3)「政治」の存在を軽視するような意思決定

が指摘されます。

また、後者は以下の3点が示されています。

(1)政界や経済界との癒着
(2)保身
(3)居丈高な態度

そのうえで、しばしば起きる官僚批判は官僚の持つ機能や役割に基づかない感情的なものであり、感情的な批判は一時の憂さ晴らしにはなっても問題の解決には繋がらないことが強調されます。

この時重要なのは、官僚への批判は他面において政治家や政治が有効に機能しておらず、官僚の存在が相対的に大きくなっている結果であって、身分としてのエリート主義は排除されるべきながら、機能としてのエリート主義は国家の統治に不可欠なものであり、両者の混同は避けねばならないという趣旨の主張は、政治家と官僚のあり方を考える際にも示唆に富むものです。

2014年に内閣人事局が設置されて以降、いわゆる高級官僚が官邸の意向を優先するかのような場面が増えたことを考えれば、約30年の間に政治家と官僚との間の力関係が変化したことが改めて実感されるとともに、1995年に田勢さんが指摘した内容の多くが、政治家にも当てはまることが分かります。

「小手先のごまかし」[1]に対する国民の厳しい視線が注がれていた1995年の官僚の姿を、2023年の政治家たちは自らの行動を反省するための手掛かりと出来ているか否か、という点を含め、今なお田勢さんが提起した問題は解決されないまま残っています。

こうした状況を鑑みるにつけ、その問題の勘所を押さえる力量の高さと、1つの問題を解決するまでの道のりの遠さが実感されます。

改めて、田勢康弘さんのご冥福をお祈り申し上げます。

[1]田勢康弘, 本来の職分を果たせ. 日本経済新聞, 1995年3月14日朝刊1面.

<Executive Summary>
Miscellaneous Memories of Mr. Yasuhiro Tase (Yusuke Suzumura)

Mr. Yasuhiro Tase, a former columnist for the Nihon Keizai Shimbun, had passed away at the age of 78 on 8th February 2023. On this occasion, I remember some memories of Mr. Tase.

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