早く不惑になりたい。

35歳になって仕事もそれなりにできるようになったのに、思い悩むことがどんどん増えている気がする。

嫌われても良いのだと頭ではわかっていても、集団にうまく溶け込めてないんじゃないかと不安になるし、仕事で後輩に教えることも増えてきたけど、うまく教えられているのか不安になる。

この先の人生が何となく見えているような気がして、何のために生きているのか、衰退に向かって何となく日々を過ごしている気分になる。

そんなことを日々つらつらと思いながら過ごすことに息苦しさを覚えていると、ふと高校の漢文で習った孔子を思い出す。不惑ってあったな。何歳のことだっけ。

【不惑】ふわく
1.物の考え方などに迷いのないこと。
2.《「論語」為政の「四十にして惑わず」から》40歳のこと。

小学館 デジタル大辞泉より

漢文の教師は孔子のことをよく「孔子先生」と呼んでいたのが印象に残っている。何となく孔子に親しみを感じるのはそこにも理由があるのかな。

自分も40歳になれば迷わずに割り切れることができるようになるんだろうか。何となく生きていてもそうはならない気がするけど、毎日こうやって悩みながら、考えながら過ごしていれば、確かに40歳くらいになれば一つの境地にはたどり着ける(かもしれない)。

こうやってnoteで文章を書き始めたのも、不惑に向かう取組みの一つでもある。

仕事で文章を書くことがあり、それを褒めてくれた先輩がいた。自分としては色んな文章を参考にしてそれっぽいものを書き上げただけのつもりだったけど、やはり褒めてもらえると、自分にも才能があるんじゃないかと信じてみたくなるもんだ。

一つ誇れるものがあれば、それが自信になって迷うことが一つ減るかもしれない。不惑って、そういう積み重ねでたどり着くものなんじゃないかと思う。

ちなみに最初の記事を書こうと決心したのは、いしかわゆきさんの「聞く習慣」という本を読んだから。

この本もすごく良かったから、いつか感想の記事も書きたい。

不惑に向けて気づいたことや考えたことを文章にまとめていこうと思う。
(これをもって、初勅とする!)

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