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うどんとそばとカレーの話


言葉にまだ力はあるか


素直でいるのは怖いですか?


こんにちは。
コピーライターの堀田です。

13年と半年ぐらい、言葉を書いて電気代を払っています。
(注:ご無沙汰の期間を足してみました)



少し前になりますが、
雨上がり決死隊が解散しましたね。


そのこと自体については
(ご本人も話していましたが)
熟年離婚のようなもので、

思い出せないほどの時間を
ともにした当人にしか
理解できない話のはずなので
僕の想いはありません。


ただ、


人がささいな嘘をつく、ことや
真実がわずかに伝わっていない時間が
長くなることによる
言葉のささくれやほつれ
こんなにも
人と人とを離れさせるものか
思ったのでした。



そんなわけで、


「ディスタンス」があって
ものが直(じか)に届きにくい今に
この仕事をすることの意味と
重要性について考えたりしています。


炎上に火を焚べて
人生まで刈り取ろうとすることに
使う言葉とは一度距離を置いて


言葉にはまだ
技術では到達できない力
あるんじゃないか


想っていることは
正しくなかったとしても
言葉を尽くしてでも
伝えるべきではないか

その力を信じるべきではないか


逆に、技術でないと
伝えられない言葉

きっとあるのではないか


今、できていないこともふくめ
なんとなくそう思ったのでした。



「ベタ」を恐れないという言葉


さて、今日は
【うどんとそばとカレーの話】
してみたいと思います。

(飛びすぎと感じた方、
戻る予定ですのでもう少し辛抱ください)


例えば、
うどん屋さんに入って
うどんを頼んだら
うどん出てこないとおかしいですよね?


コミュニケーションにおける
僕たちが日々関わっている
提案やプレゼンや、見積もりや
日々のメールや、打合せや、
上司や仲間や、先輩への反応も
この話が、とても大事だなと思っています。


僕にも、わずかながら
血気盛んな20代(前半)があって
根拠のない全能感に満ち満ちて
「できる」と思っていた時期がありました。
あれはなんだったんだろう。

そもそも
「できる」か「できない」かの地点にも
立ってなかったじゃねえかと
今となっては赤面でしかないですが


お客さんや、上司や、いろいろな人に
「うどんがほしい」と要求されて、

なんやかんやアレンジして
「よかれと思って」の
「そば」のみ出していた
ことや
「こっちの方がいいでしょ」の
「カレー」だけを出していた
ことはないですか?


今それが「あるかも」と思った方、
まずは「うどん」を作ってみてはどうですか?
というお話です。


わかりやすく言うと、
A案をちゃんと(基本形として)出してから
B案(アレンジ)とC案(変化球)を出す

という順序、のことなんですけども


「うどんをください」と言った人は
うどんがなくて
そばだけが出てくると
「この人話聞いてたのかな?」になります。
カレーだけが出てくるとさらに……
ですね。


この、
「話聞いてたのかな」スイッチが相手に入ると、
あとでうどんを出しても、
まず、美味しく味わってもらえない。
逆に頭を使った「そば」と「カレー」でさえも
「余計なことをしてくれて」となる。

人間は不器用にできているんですよね。


普遍的であったり、統計的であったり
共感性が高かったり、
人が直球やベタ(=A案)というものに
反応するのには、理由があって
歴戦の英知が詰まっているからですよね。
そこをまず素直に再現したり、返答する、
ある種、マナー的でもあるかもしれないですね。


この基準があるからこそ、
アレンジ(=B案)やチャレンジ(=C案)
どれだけ幅があるか、魅力的か、
ということが伝えられる、ということでも
あるのかもしれません。



「うどんとそばとカレー」で伝えてみる


「まずは、求められているうどんを出す」
ここが文脈としてしっかり結びついていると、
「そば」や「カレー」を出しても
喜ばれることが多いです。

ですけど、
「そば」や「カレー」しかない場合だと
受け取った人が、次のステップで伝える際
(その人の上司とか、さらに上のお客さんとか)
本来あるべき「うどん」との差分を埋める
説明が必要なことになります。

相手に余分なカロリーが必要(=面倒!)になる
確率が上がる、ということですね。


「そば」や「カレー」をせっかく作ったのに…
気づいてくれなかった、なんてセンスだ

という労力に対する見返りを嘆くのであれば、

「食べたかったうどんを、まずは食べてもらう」
という信頼
が、まず
それに匹敵するほど、とても大事である
ということを、小さな声でお伝えしたいと思います。
(注:自戒の念込み)


「うどん」食べたいっておっしゃってましたね
いかがですか?

そういえば、「そば」も作ってみました
どうですかね?

ちなみに、「カレー」の気分じゃなかったですか?
もしかして。

という伝え方が、いろいろなことを
スムーズにする技術かもなあ、
(離れがちな今のご時世には特に)
と最近とても思います。


発言に対して、まずは
「すごくわかります」とベタに共感される方が
「ですけど、、お言葉ですが」という
反対意見も言いやすいように、

「踏まえる」という言葉もありますが
相手への「反応」というものが
コミュニケーションの基本である
ということかもしれないですね。



まとめると、


—————————
【食べたいときが、うまいとき】

「うどんがほしい」と言われたら

「うどん=ベタ」を恐れず、食べたいものに
ど直球でまずは人とやりとりして
美味しいと思ってもらう

「そば=アレンジ」で喜んでもらう

「カレー=変化球」で驚いてもらう


食べたいと言われていない
「そば」「カレー」だけを出すと
人が喜んでくれる確率が下がる
—————————


人との関係性もそうであるといいですね。



最後にですけど
「うどんくれ」で、
「カレー」を作ろうとする
超絶チャレンジングな精神

僕はとても好きですし、
きっと見てくれている人はいるので
それは信じましょう。



うどんのような文章でしたか?




おあとがよろしいようで。
(よろしくないか)

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