「良い成績を取りなさい」と言わないでください

2023年度2学期に発行した中1向け学年通信「学習について」の記事。例年だと「計画的に勉強しましょう」とか「苦手な分野もちゃんと頑張りましょう」みたいな文章が出るようですが、独自のテイストで好き勝手書かせてもらいました。要は大人が「良い成績を取りなさい」というのが諸悪の根源だっていう話です。


10月発行:内発的動機付けで学ぶということ

授業で演習問題を扱うと「あと5分ください!」といった声を聞きます。この言葉の奥にある動機について考えてみたいと思います。学びの過程で体験する「知らないことを知ること」「疑問に思うことを解決すること」などは、クイズ番組がエンタメとして成立するように、報酬を必要とせず純粋に楽しめるものです。私の授業である演習の締め切り直前に「延長してください!」という声がありました。私は予定通りの時間で締め切り、採点、返却をしました(※Googleフォームなので自動採点です)。差が出たのはここからです。私が解説を始めようとしたとき、必死に解き続けながら「あと5分ください」と要求する生徒たちがいました。一方で、ペンを置いてしまう生徒たちもいました。前者が内発的動機づけで学習に向かう姿、後者が外発的動機づけで学習に向かう姿だといえます。得られる成績だけを目標にすると、制限時間後に解き続ける動機はもうありません。ところが、自力で解く達成感といった内発的な動機を原動力にしている生徒たちはそのまま熱中するのです(公平な評価をするために時間だけは厳守するよう指導しています)。
さて、この理想とする内発的動機、どのようにすれば醸成されるのでしょうか。私としての一つの解は「過剰な外発的動機づけによる感覚の麻痺を起こさないようにすること」です。大変失礼な質問ですが、ご家庭において「良い点を取ったらおこづかいUP」といった報酬による動機付けをしていませんか?そしていつしか生徒の中で報酬が目的になっていませんか。目標の目的化は特にこうした有形の報酬で起こりがちです。実は、我々教員も授業の中で外発的動機づけを利用することはあります。外発的動機づけによって、本人も自覚していなかった内発的動機に気付くきっかけが作れるかもしれないからです。たとえば、ある問題を時間内にクリアした生徒のプリントに特別なスタンプを押してあげるとか、一番早く解いた生徒に拍手を送るとか、いわばこれらも報酬を利用した外発的動機づけです。しかしこれらは、報酬に実質的な価値を持たないものです。もし授業内で「正解者に100円!」と賞金を与えてしまうと、それをやり始めた日はいつも以上のやる気が生まれるかもしれません。しかし、その先に健全な成長は見込めないと、誰もが想像できると思います。有形の報酬に慣れると感覚が麻痺し、より多くの報酬を求め、報酬を得ることそのものが目的化します。依存にならない程度の無形の外発的動機づけ、すなわち、ただ「褒める」が学習における内発的動機喚起への最適ルートなのではないでしょうか。

11月発行:持ち込みプリントから見えてきた学ぶ意義

昭和学院中学の理科の定期考査では、教科の特性もあり「持ち込みプリント」の制度を実施しています。この取り組みから考えられる「学習とは何か」について紹介します。
この制度は定期考査の1,2週間前にA4の白紙プリントを1枚配り、そこに生徒自身が自由に記載し、定期考査に持参することが可能なものです。また、提出義務があるものではなく、一切成績には影響しないと明言してあります。「そんなことをしたら全員満点になってしまう」「そんなことをしたら勉強をしなくなってしまう」という心配の声が上がりそうですが、実践してみるとそんなことはありません。それでも全員が満点にならないというのは、暗記力の差が点数の差を生んでいたわけではないということです。定期考査ではごくありふれた問題集にも登場する問題を扱っています。実際の生徒たちの行動パターンを挙げながら、どの段階で課題を抱えているのか、そもそも学習とは何を目指して取り組んでいるのか考えていきます。
まず、各クラスで数名は持ち込みプリントを準備できません。この生徒たちはそもそも生活リズムの中で、自分で予定を立てて何かを実行するというところに課題を抱えています。持ち込みを強制しているわけではないため「やらなければならないこと」という認識も持たないので、おそらく優先順位を上げることができず、手を付けないまま当日を迎えてしまうのです。これを義務化し、強制的にやらせると一見問題が解決したように見えますが、本当にそれでよいのでしょうか。自分で優先順位を考え、行動を選択できるようになることが成長であり、我々大人がすべきは取り組み一つひとつについて丁寧に根気強く説明し、それを見守ることだと思います。
次に、ある程度は書いてくるものの、必要な情報が不足しているパターンがあります。今回の理科の考査でいえば、蒸留の実験を全クラスでやりましたので、問題の中で「この操作をなんというか」と問われ、漢字で「蒸留」と解答する問題が出そうなことは容易に予想できます(実際の大問7(5))。このような問われそうな問いを想像するというのは、単元の内容を理解し、問題集などで例題に触れることで精度が高まります。まさにこうした予想が学習内容の理解において大事な時間なのではないでしょうか。この大事な時間を飛ばしてしまい、誰かから「テストに出そうな問題」を教えてもらってしまうのと、自分で悩むのとでは、どちらが学びになるかは明白です。ついつい大人は仕事のタスクと子どもの宿題を同一視してしまい「さっさと宿題やりなさい」と言ってしまいがちです。しかし実は、学習内容一つひとつを見つめなおし、じっくり時間をかけて考えるというのはとても大切なことです。さっさと宿題を終わらせるだけになってしまっている子どもには、「もっと時間をかけてやったほうがいいんじゃない?」と言ってあげましょう。
大半の生徒たちは、これまでのノートづくりのスキルも活かしてキレイにまとめプリントを作成します。しかしここで、まとめ方の美しさと成績には必ずしも正の相関があるわけではないということです。上記の予想を十分にするという過程を踏んだのか、どこかの参考書のまとめを丸写ししただけなのか、それが定期考査の点数の差となってあらわれます。定期考査後、まとめプリントが無い場合は「この問題が出るなら暗記しておけばよかった。でも、暗記が苦手だからどうせ取れなかったな」と諦めてしまうことが多々あるかもしれません。しかし、ただ一度だけまとめプリントに書けばよかったということであれば、事前によく考えて準備することの大切さが身に沁みてわかると思います。この十分な思考を繰り返し、まとめプリントを作り上げた生徒は定期考査当日に「あまりプリントを見る機会が無い」と語ります。作成の過程が効果的な学習となり、知識が自身の血肉となって自然と暗記するに至ったものと考えられます。
最後に、成績上位の生徒たちに稀に見られる、この取り組みで行きついてほしい理想の姿を紹介します。まとめプリントに、ほんの数単語だけの難しい漢字を書くのみで高得点を取る生徒がいました。これは、普段の学習で十分理解し、わざわざまとめプリントに書く必要がないという判断の結果です。別の例では、考査の始まる直前に緻密にまとめてきたプリントを手にして「自分の力を試したいのでしまっておいてもいいですか?」と聞いてきた生徒がいました。この生徒の思考を想像すると、良い成績を取るために定期考査を受けているのではなく、自分が成長するために定期考査を利用していることがわかります。
こうして振り返ってみると、長い年月を経て意義の見直しを迫られている定期考査も、健全な目的と手段があれば有効に活用できることが分かります。すべての生徒たちが最後に例に挙げた生徒のように、最大限の努力をし、自分自身の実力を知るために定期考査を利用しようと思えるようになってもらいたいものです。そのために、まずは私たち大人が学びの意義を再確認し、子どもたちの成長を促していきましょう。

12月発行:生成AI時代の学び

学校現場で生成AIの存在を危惧する理由は、端的に言えば「生徒がズルをするから」だといえます。ズルをするのをどう見抜くか、どう規制するかという議論はナンセンスです。おそらく人間が見抜けないくらい自然な文章になるよう、生成AIは進化し続けると思われます。そもそもこの危惧が生まれてしまう原因は、学校教育の本来の目的である生徒の成長ではなく、良い成績を取ることが目的になってしまっている現状にあるのではないでしょうか。つまり、本来は生徒自身が成長したいと望み、成長のために課せられる課題のクリアを目指して懸命に努力し、試行錯誤を繰り返すことが望ましい学びの姿です。そして生徒が得られる成績は、その成績を得るまでの過程が良かったのか悪かったのか、どんな点が改善点なのか、次にどうすれば成長するのかを知るための重要な情報です。つまり、成長のための手段として教師に付けられる成績を活用するのがあるべき姿です。この位置づけを正しく理解した場合、課題のクリアのためにAIを使うという選択をすると、得られるはずの重要な情報を自ら捨てることになります。ズルして得をするどころか、大損をする選択なのです。大人が印象付けている「良い成績を取るために勉強しなさい」が諸悪の根源であることを理解しなければなりません。何かを学び、成長することは楽しいことであるはずなのに、いつしか学校に通ううちに、成長することも楽しむことも忘れ、その手段であるはずの”良い成績”に固執しがちです。公式に未成年の利用が認められているChatGPTの存在は、歪んだ教育の形を直すチャンスになるかもしれません(まだ誕生日を迎えていない中学1年生は利用不可。13歳以上は登録に保護者の同意が必要。2023年11月15日の発表でGoogleの生成AI「Bard」も13歳以上に年齢制限を引き下げ予定となったが、実装時期は不明)。生成AIは毒にも薬にもなるものであることを、生徒自身が理解することが大事です。そしていざ使ってみると期待する回答が得られない経験を積みます。言葉足らずでも、これまで優しい大人に察してもらい続けてきた生徒たちは、自分から投げかける言葉選びが苦手です。生成AIと付き合うことでそんな”質問力”の養成の一助にもなると期待できます。その力さえ身に付けば、生徒たちは自走して学び続ける人材に育つのではないでしょうか。


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