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(小説)星の降る街 8

「やっぱり雨じゃ。お参りは無理じゃ」
 兄は諦めたと言った風にスクランブルエッグを作っていた。
「あれ、お袋と有里さんはもう食べたのかなあ」
 食卓の上には私の分だけなのか、皿にサラダとパンが置いてあった。
「お前が寝すぎ。もう十時だぞ。忠晴が親父をデーサービスに連れて行った。お袋と有里さんも一緒に行った。ほら卵も食べろ」
 早起きしたお袋につられて起きた兄達は、私の病気のことを言ったようだ。
「心配させるな」
 憔悴した母の姿が思い浮かぶ。
「それは仕方ない。親より長生きしてくれればいいとだけ言ってたわ。たぶんお参りが終わったら東京に帰れって言われる。今の親父はおまえには大変すぎる。さっきも廊下とトイレを間違えてした。お袋の怒鳴り声と手を焼く親父と一緒では病気が悪化する」
 私は何も役に立たない。
「じゃあ、気持ちだけでも何かするわ」
「気が済むようにしたらええ。有里さんとはどうなってる」
「付き合いを遠慮しようと思っていたんだけど、どうなのかな。島まで来たし、まだようわからん」
 兄はしばらく珈琲カップを手にしたまま考え込んでいた。
「好きなようにすればいい。お前の人生じゃ。ただ無責任な付き合いはするな。長い余命なら失敗も許されるけど、限られているなら場合によっては結果的に迷惑だけ掛ける」
 長兄らしい気遣いだ。私の長男の龍也と似たことを言った。
 
「山崩れじゃ。消防団が慌てて行っとるぞ」
 次兄が走って帰って来たのか、息を切らしながら大きな声で叫んでいる。
「どこの山?」
 家の中からそう応じた。島はかなり風化した花崗岩かこうがんで構成されている。どこかが崩れて不思議ではない。実家のある築出地区の裏山も山崩れがしばしば起きて、今は全面をコンクリートで固められている。
古葉こばいしの近くらしい、うちのみかん畑の南側みたいだけど、ようわからん」
 付近は元々柔らかい地盤で、オリーブやナンテンなどの雑木林で大きな木がないことからいつ崩れてもおかしくないと言われていた。
「消防団に応援を頼まれとるから俺も行くわ。雅春は来なくていいから、スコップと長靴を納屋から出してきてくれ」
 早口でそう言って、次兄は父親の作業着に着替え始めた。民家はないところなので緊迫感はないが、すぐ近くにテレビや携帯電話の電波塔がある。テレビを付けると普通に映っていたので、小規模なのだろう。長兄とそんな話をしていると有線放送が始まった。
「お知らせします」
 従姉妹の清子の声だった。ちゃんとした標準語の発音になぜか安心した。
「古葉石近くの畔道が東南方向に崩れました。沖で釣りをしていて目撃した栄蔵さんによると島外から来たお遍路さん三人が近くを歩いていた可能性があるとのことです。お身体の動く方は至急スコップなどを持参して応援に出かけてください。繰り返します・・・・・」
 人がいることに驚いた次兄が、「先に行く」と、しばらくは使っていない錆び付いた自転車で向かい、私も長兄とともに短すぎる父親の作業ズボンに履き替えて続いた。走ると肺にいいのか悪いのかは分からなかったが一刻を争う。
 麓まで行くと、島にいる六十歳から七十歳と思われる十人ほどがたむろしていた。六十歳以下の若い消防団員の五人がすでに山に入っているので、場所が分かるまでの待機とのことだった。崩れた位置が少し違うだけで登り口が違ってくるからだ。小さな山と言っても勾配はきつい。
「信心深い人は雨でも歩くんじゃのう」
 誰かがそう言った。
「ほんでもお遍路してて山崩れにあったらたまらんのう」
 誰かが応じた。雨を理由に回っていない私は反応できなかった。
 携帯の電波はどこでも繋がるわけではないので、ここは昔ながらの手旗信号しかない。島の人はかなりの人が出来る。しばらくすると山の方から人影が動いていた。
 中腹から消防団の人が手旗の送信体制に入った。正面に向かって、両手を水平から頭に当たるまで何度も上げ下げを繰り返す。私は周りを見たら誰も往信していないので、前に出て、体を右にひねり両腕を上下に振って受信するサインを出した。
「お遍路さん、二人体半分埋まっている。海側、中腹あたり、すぐに上がってこられたし、医者頼む。一人行方分からず」
 私は大きな声で解読した。すでに分かっているのか全員が山を登り始めた。長兄は診療所の医者を連れて来ると言って、誰のものか分からないオートバイに乗って迎えに行った。
〈幅は二メートルくらいで、下の浜までは三十メートルくらい〉
と信号は続いた。思ったより小規模だ。埋まっていなければ助かるだろうと思った。
〈浜まで落ちたと思うか〉
 私は手旗を続けた。
〈可能性はある〉
〈雅春だけど、山はみんなに任せて、浜に回る〉
〈頼む。浜から山には携帯が繋がるはず〉
〈了解〉
 手旗のやり取りを終えて、東側から海に出て東南に回り込む道を選んだ。潮が引いていれば険しくない磯を歩けば簡単に行ける。満ちていたら崖を登ったり下ったりの悪路だ。山土独特の匂いが鼻を突く。
 幸い潮が引いている、砂浜と磯の上を走った。大量の山土の塊が白い砂浜を半分ほど塞いでいた。山土は雨と混ざって塗る前の壁土のようにどろどろだった。思った以上に崩れている。この中にいるとすればどうしようもない、と思いながらぬかるんだ山土に足を取られながら登ると、顔に引っかき傷、両手のシャツに血の滲んだ三十代くらいの男が呻き声を出しながら横たわっていた。よく見ると脛あたりがかなり出血している。
「大丈夫ですか、動けそうですか」
 声を掛けると「松の枝で手足や背中が切れて痛いだけです、強くは打ちましたが、どこも折れてはいないと思うんですが」と弱々しく答えた。どうやら山崩れの最後の方で巻き込まれたらしく上に乗る形で落ちたようだった。
「私が先頭を歩いていたんです。後ろから来ていたはずの両親はどうなっているでしょうか。私を呼ぶ大きな声が聞こえていた気はするんですが」
 私は次兄の携帯電話に連絡した。電波の状態のいいところなのかうまく繋がった。
「御両親は半分埋まっていたけど、命に別条はないみたいですよ」
 そう言うと男は一瞬微笑んだが、苦悶の表情に変わった。
「おーい、雅春か」
 すぐ沖に漁船が見える。大きな声で叫びながら白石島の同級生の栄蔵と益男がやってきた。釣りをしている最中に山崩れを見て、役場に連絡したらしかった。
「内臓をやられている可能性があるから急いで運ぼう。おかを行くより船の方が早い」
 浜に打ち上げられていた戸板のような板材をタンカ代わりにして男性を栄蔵の船に乗せた。素早く岬を回って港の奥深くにある診療所まで運んだ。私の実家のすぐ近くだ。
 巡礼者は福山市の人で、神島四国八十八ヵ所を回り、白石島の開龍寺が奥の院になっていることから来たという。せっかくだからと白石島四国八十八ヵ所を回っていたとのことだった。
 島唯一の医療機関である白石島診療所の前には消防団や手伝いに来た大勢の人が集まっていた。
 島の顔役でもある市会議員の芳鉄さんが集まった人たちをねぎらっていた。軽傷に「奇跡じゃな」とみんなで口ぐちに話していると、「やっぱりお大師様のお陰かのう」といつ出てきたのかハチジイが呟いた。
「栄蔵と益男が沖で見ていなかったら大事おおごとじゃったのう。三十メートルは落ちている」
 私がそう言うとハチジイは、
「死なんのもお蔭、死ぬのもお蔭」
 ハチジイは禅問答のようなことを言って引き揚げた。
それでも検査設備の整っていない診療所の医者は用心のためだ、と言って栄蔵の船で巡礼の人を笠岡の市民病院に運んだ。

 後片付けしていると納屋のある庭までソースの香ばしい匂いがした。つられるように台所に行くと、有里がお土産に持参してきてくれた「石巻焼きそば」を炒めていた。麺が最初からソースが絡まったような茶色をしているのが大きな特徴だ。
「んめがら、たべらいん」
 有里は表情も変えずそう言った。笑わそうとしているのだろう。来た時よりも仕草が大きくなっている。私の顔も家族の顔も緩んだ。
「美味しいから食べろって」
 私がそう言うと、兄達は負けてはいなかった。
「こいづ、うめごだ」
 父が時々おどけて言っていたので、石巻に住んだことのない兄達もまるで分からないわけではなかった。
「うちゃあ、ぼっこい楽しい、家族ってええなあ」
 有里はいつの間に覚えたのか白石弁でそう言った。
「もう家族じゃ、身うちじゃのう」
 次兄がそう言うと、多くの会話はいらなかった。こんなに大勢で談笑しながら過ごしたのは何年振りだろうか、私は、心配してくれている息子や友人たちの前でもこの空気を作ろうと思った。
 山崩れで道路が崩壊し、八十八か所参りには行けなくなったので、兄達はその日の夕方それぞれの家に帰った。母は私と有里を島にただ一つあるお寺、開龍寺に誘った。私の病気の回復祈願と葬式を満足にしていないという有里を気遣って母が住職に祈禱を頼んでくれた。住職は私たちを本堂に招き入れ厳かに経をあげた。
 開龍寺は真言宗の寺だ。有里の住む石巻は曹洞宗が多かった。宗旨が違っても御両親をちゃんと弔えたのだろうか。
「気にすることはありません、死者を悼む心、成仏してほしいという気持ちは宗派とか儀式の形ではありません。私は真言宗の僧侶として代行しているだけですから、掛井さんのお心は仏様に届いていますよ」
 有里が神妙に頭を下げているので、これでよかったのだろうと思った。

 母がデーサービスに父を迎えに行っている間に、私は兄が前夜に刺身を作った残りのタイのかしら、ヒレを使って吸い物を作った。有里は大量にニラを刻むのを不思議そうに見ていたが、島では魚の吸い物はお椀が緑になるくらいニラを入れる。少し鮮度が落ちてもこれなら生臭いということはない。九州や中部地方の一部でも同じようにして飲むところがあるので、発祥の地は分からないが、漁港伝いに全国に伝わっていったのだろう。
「二人おらんだけで静かじゃのう」
 母はしんみりしていたが、有里が帰り、私も東京に行くともっと寂しくなるはずだ。せめて有里が帰る日の翌日に島を出ようと考えていた。
「有里ちゃんはいつまでおれるん?」
 母は優しく聞いていた。
「明日にでも帰ろうかと思っています」
「八十八ヵ所参りに来たのになあ」
 母が気の毒そうに言いながら、いつの間に準備していたのか開龍寺のお札とお守りを渡していた。

「お上品にお茶を飲んどるのう」
 と言いながらリビングに入ってきたのはクミ叔母と従姉妹の清子親子だった。
にいさんたちはもう行ったんか」
 部屋を入るなりそう言うと、有里に満面の笑顔で話しかけた。
「有里ちゃんじゃな、遠い所からよく来たね、ゆっくりしてや」
「急な訪問ですいません。よろしくお願いします」
 有里は慌てて立ち上がってお辞儀をしている。
 いつもなら私に矢継ぎ早に話しかけてきて大変な思いをすることもあるが、あっさりと両親の部屋に消えた。清子はお菓子の箱をたくさん抱えていた。
「今日助けたお遍路さんの家族からのう、助けに行った人全員にお菓子を配ってくれと言って最終の船で出張所に送ってきたから持ってきたんじゃ。ここは三人出向いたから三個じゃな」
「清子は公務員じゃろ、受け取ってええんか」
「うちは代行してるだけの配達屋さんじゃ。島のみんなにじゃから、ええんじゃない」
 確かにそうか、贈り物をしたくなる家族の気持ちも分かる。 
「おまえ有線でよく標準語で放送できるな」
「まかしといて、うちゃあバイリンガルじゃ」
 そう言いながら有里に向かってお辞儀をしていた。


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