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『2050年のメディア』筆者の真意は

「読売はこのままでは持たんぞ」
大胆なキャッチコピーが帯に躍る本のタイトルは『2050年のメディア』(下山進著、文藝春秋)。10月25日に発売されたばかりだが、マスコミ関係者の間で早速話題になっているという。

キャッチコピーに使われた発言の主はメディア王とも言われる読売新聞の渡邉恒雄主筆。ピーク時の2001年に1028万部を誇った読売新聞の部数も今や873万部まで後退。渡邉氏が社員の前で初めて弱気を見せたのだ。

苦しいのは読売だけではない。日本の新聞の総部数はこの10年で実に1000万部が失われた。この本は「2050年」というタイトルながら、デジタル化の波に乗り遅れ、Yahoo!などの新興メディアに敗れ去った新聞社の失われた20年の姿を克明に描いている。

象徴的なシーンはYahoo!に対抗して読売、朝日、日経が作ったプラットホーム「あらたにす」の惨敗だ。プライドばかりが高く、テクノロジーやユーザー視点を軽視した記者たちの経営感覚のなさが浮かび上がっている。

私もかつて新聞社で働いていたので実感するものがあった。スマホが登場するまでは、新聞離れと言われながらも部数はあまり落ちず、Webを軽く見る風潮が社内にあった。それどころか極端な古典回帰を唱える人すら少なくなかったのだ。

例えば10年ほど前に行われたジャーナリストの柳田邦男氏の講演会。

すでにパソコンで原稿を書くのが当たり前の時代になっていたが、柳田氏によると、それが記者を駄目にしてしまっているのだという。原稿を容易に修正できるだけに、構成を練る力が奪われていくのだそうだ。

Google検索に至っては悪の中の悪。真の情報は足で稼がなければならない。カーナビは地理感覚を人間から喪失させたという。

一面的には正しいかもしれないが、今となっては時代錯誤の感がある。だが当時は柳田氏に同調する記者が多かった。

現に私の新聞社でも、パソコンを使わずに旧来の原稿用紙で記事を書くという研修が行われていたほどだ。

記憶がおぼろ気だが、新聞専用の原稿用紙は1枚が10行ぐらいしかなく、後で書き足せるように1行書いては1行空けるため、1枚で5行ほどしか書けなかった気がする。80行の原稿を書こうと思えば、書き損じも含めて大量の紙が必要だった。

新聞社は新興メディアに敗れて当然だったと改めて思う。

それはともかく、30年後の2050年のメディアはどんな姿なのだろうか。ページを最後までめくったが、意外にも本の中で触れられることはほとんどなかった。

狐につままれた気分になったが、よく考えればである。30年前に今日の姿を想像できた人間はどれほどいただろうか。月並みだが、未来はやはりこれから切り拓いていくものに他ならない。そのためにも過去の歴史に学べと筆者は言いたいのではないか。

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