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楽しむか、殺し合うか。桃鉄から思うエンジョイ勢からガチ勢へ移ることの不可逆性について


幸か不幸か、何も考えずに楽しんでいたころにはもう戻れない


桃鉄最新作を買って、遊んでいます。

一人でプレイすることもたまにありますが、遊んでいる時間の大半は、友人とのオンライン対戦。
このご時世、正直友人宅など閉鎖された空間に集まることに対して少なからず抵抗があるので、オンラインでのゲームはうってつけの遊びです。

そんな中で、少し気づいたことを記しておきます。



久しぶりの「桃鉄」

最初に遊んだ桃鉄は子供の頃、スーパーファミコンの「スーパー桃太郎電鉄III」だったと思います。その後は大学時代に友人と遊んだり、社会人になってから友人と遊んだり。ただ、大学以降は累計でも5、6回くらいしか桃鉄で遊んでいないんじゃないかな、と思います。

数年ぶりに購入した桃鉄、キングボンビーやカード、駅が変わってるんだろうな、くらいで遊んだんですが、何度か経験を重ねることで「リニア周遊カード」や「☆飛び周遊カード」「6大都市カード」の壊れ性能、ダビングカードでそれらを増やして延々と目的地に到着する方法など、ある種の「攻略法」が確立されていることに気づきました。
ネットで検索すれば、短期戦から長期戦までの定石、最強カードランキング、おすすめ物件などのデータがそこかしこにあふれていました。

それ...いわゆる各桃鉄シリーズの攻略法というものは、私が知らないだけでおそらく以前のシリーズから存在していたのだと思います。私の周りでも、そういった攻略法を抑えている「桃鉄に慣れている人」がちらほらいました。

最初は全然わかりませんでしたが、少し調べると前述のような強いカードがあることを知ったり、またそういったプレイングを目の当たりにすることで、新たな知識・経験として得ることが出来ました。

そして、たまにはそういった強い攻略、「☆飛び周遊カードで目的地の近くに飛んで次の月にリニア周遊カードを使って目的地へ到着」を繰り返す、といった遊び方が出来るようになります。

実際にやってみて思ったんですが、これは間違いなく「勝つための作業」なんですよね。しかもこれ、この戦法を知らない相手に対して行うと、まず負けません。
めちゃくちゃ強いですし、例えばそういった戦法を知っているプレイヤーが複数人いると、今度はカードを奪い合ったりする駆け引きが生じてきたりします。カードでお互いを攻撃し、いかに自分の資産を増やせるかを競います。なるほど、友情破壊ゲームというのはこういう意味だったのか、と納得できる場面です。

ただ、ここでふと「これ、もう以前の桃鉄の楽しみ方には戻れないな」といった気持ちが生まれたのは事実です。



過去と今の「桃鉄の遊び方」

大学時代に友人とやった桃鉄は、攻略やセオリーもわからず、酒を飲みながらだらだらサイコロを振って、なんやかんや笑いながら遊んで、後半はみんな眠くなってぼけーっとやるような桃鉄でした。要は、勝ち負けは意識しつつも、攻略法などは何も考えず、ガチにならずに遊んでいました。

それが今。今作のみのシステムもあると思いますが、ある種定石の戦法を知ってしまった、という状態です。
こうなると、どうあがいても今後桃鉄をプレイする際にはこの戦法が頭をよぎります。大学時代の、何も知らない友人ともし今この桃鉄を遊んだら、自分だけが強さ的に頭一つ抜けてしまった状態です。

結果として...「攻略も何も知らなかった頃の桃鉄は、自分は二度と遊べないんだなあ」と感じました。

これがつまりは、エンジョイ勢(ゲームを楽しむのが最優先)からガチ勢(ゲームで他人に勝つのが最優先)へ移ることの「不可逆性」であると思います。



楽しむか、ガチで殺し合うか

私自身はあまり詳しくないので真偽、実際のほどはわかりませんが、MMOのギルドでは「ゲームプレイを楽しむかガチでやるかを最初にしっかりと決めないと、方向性の違いで揉め事が発生しがち」という話を聞いたことがあります。

今、桃鉄最新作を購入して遊んでいる人は、何度か遊べば自然と強力なカードや戦法が分かっていき、初見の状態から徐々にスキルが上がっていくことは間違いないでしょう。きっと近いうちに、みんなカードの有用性を嫌でもわかることになると思います。対策も学んでいくでしょう。もちろんそれは机上で勉強するといった意味ではなく、知識として身につけるという意味です。徐々にみんな、知識を備えたガチ勢に寄っていくのです。なぜなら、学ばなければ、学んでいる人に勝てないからです。

一方で、桃鉄はたまにしかやらない人。ゲーム自体もそんなにやらず、たまに友人と集まった時にやるタイプの人。エンジョイ勢と定義します。
そんな友人たちと今後もしまた遊ぶことがあったら、もう昔のように何も考えずゲラゲラ笑いながら桃鉄を遊ぶことは出来ないんだろうなあ、と考えました。自分はそういった友人たちに比べ、もう、強くなってしまったからです。
それはそれで、ちょっと寂しいなあと。

もちろん、「相手のレベル(戦法を何も知らない人)に合わせたプレイ」をすることは出来ると思います。でもそれは「何も考えず遊ぶ」わけではないんですよね。配慮をして遊ぶというか。先ほどのMMOギルドでいえば、「方向性の違い」が生まれている状態です。桃鉄でギルドのような揉め事には発展しないと思いますが、しかし楽しみ方の方向性の違いは生まれているでしょう。


「そんなこと考えず、強いプレイングを知っているならそのまま発揮すればいい」とも思いますが、個人的には桃鉄で人を圧倒することにはそこまでの執着心が無いことも影響しています。そして勝つことを誰もが徹底的に目指しているゲームでは無いだろう、という認識もあります。

本気で勝負したいということであれば本気でやりますが、でも世の中そういうタイプの人が全ててはないはずです。今作だって、桃鉄で絶対に他人を倒す!と思って購入した人はどれくらいいるでしょうか。やりこみ目的というよりは、友達と遊びたいから買ったという人のほうが多いと思います。
つまり、私たちは桃鉄を、格ゲーやFPSなどでいういわゆるランクマッチが無い状態で遊んでいるのです。やったことがある人はわかると思いますが、明らか実力差がある格ゲーやFPSって、楽しむことが難しいんです。少なくとも、パーティーゲームでは無いと思います。

このような「自分が上」の実力差がある桃鉄では、勝とうと思えば勝てますし、配慮をしようと思えば配慮できますが、それは自分にとっても相手にとっても、本当に楽しいと言えるのでしょうか。少なくとも自分は、そんなことを考えなくていいマリオカートをしたくなるかもしれません。


そんな、対戦相手によっての対応を考えざるを得なくなったのも、攻略法や戦法という知識を私が知ってしまったからこその結果なのです。
さらに加えて考えなければいけないのが、桃鉄は「プレイ時間が長い」「簡単な逆転は無い」というところです。一度上位は上位、下位は下位で固定してしまうと、この状況はひっくり返りにくいです。特に知識を備えた人ほど上位をキープする力も強いです。特に、プレイする年数が長くなるほど、この順位は固定していくように感じました。

それはつまり「有利にゲームを進められて楽しい人・貧乏神がついたり赤字ばかりでつまらない人、の二分化および、その状態が長時間続く」という結果に繋がります。最下位プレイヤーが長期間固定され、逆転の目もなさそうな状態で、なんとなくそのプレイヤーが不憫になる空気、経験したことはないでしょうか。知識量の差があれば、自分が上位としてこの状態に持っていけると思いますが、そこに楽しさを見いだせるかどうかは人それぞれです。私は楽しめるほうではなく、知識量の差があり、勝てて当然だからこそ、「これって、面白いか...?」と頭をよぎることもありました。。

友情破壊ゲームと先ほど書きましたが、実は今まで桃鉄をそんなゲームと捉えたことはなくて。ゲームで友情は破壊したくありません。
いやもちろん、盛られたキャッチコピーですし、それで友情が破壊されるようなことはない(はず)と思っています。あくまでゲームですし...。

とはいえ、いくら友情破壊ゲームと煽られようと、自分の中ではどちらかと言えば楽しむためのパーティーゲームとしての認識で、勝とうが負けようが楽しめればどうでもいい、という感覚でした。というか、パーティーゲームの勝負は時の運、つまり運要素が強いからこそ負けても気にしない、というのが正しいと思います。

それが現状、戦法を知っている人が強いという状態になっています。知識の差があるほど、運要素がかなり薄くなってきている気がします。そして桃鉄のプレイ年数が長いほど、その知識差は顕著になり、順位として顕在化します。仮にプレイの年数を1年とした場合、それは運要素が非常に強いゲームになると思いますが、正直5年ほどプレイするとやや順位が固定することが多いかなと思います。もちろん下位になっていたとしても、強力なカードを使えば、下位を脱することは出来るかもしれませんが、個人的な印象としては1位になるのは難しいと思っています。「一矢報いる」くらいは全然出来ると思いますが...。何より、勝ちパターンであるリニア周遊とぶっ飛び系カードのコンビネーションを崩すのは、なかなかに困難です。貧乏神を移す隙がありません。

私は、エンジョイ勢から、そのような戦法を知っている「ガチ」勢に寄ってきているというのが現状です。なぜなら、運要素が薄い(知識量が強さになっている)分、戦法を知らなければ格上の相手と対等な勝負すら困難であると認識したからです。3年プレイでも10年プレイでも、下位で固定され上位に全く追いつけないというのは、誰でも面白くないでしょう。私が次に桃鉄をやるとしたら、まずは房総半島でカードを集めるムーブをすると思います。

私は桃鉄を強くなりたいと思いましたが、難しいのは、ユーザー全員が全員「強くなりたい」と思っていないことであると思います。また、「強くなって勝てるほうが面白い」と強要することも正解ではないと思われるところです。
eスポーツなど競技性の強いゲームや、はたまた他校と競う学校の部活動と近しいところがあると思います。どんな集団でも、勝ちたいという人とそこまでガチでやりたくない、という人は混在しがちだと思います。
とはいえ、部活動なんかでは試合がある以上勝つことが目標とされ、スキルを磨くのが正論となるのは当然の流れ。そして、ガチな部の空気に耐えられず、退部という選択もあります。桃鉄が特殊なのは、楽しむ側でも殺し合う側でもどちらも正解、そして両者が混在し続けているというところです。



楽しみ方の変遷の結果、これからの期待

考えてみれば、私にもこういった不可逆的な経験がひとつありました。
私は(最近は全くできていませんが)ゲーム音楽を用いたDJをしています。つまり、ゲーム音楽へのアンテナは常に張っています。
すると、自然と...というか、例えば、プレイしているゲームを何も考えず聞くことは出来ません。ゲームの中でふと耳にしたBGMに対して「この曲DJに使いたい」「この曲のBPMはこのくらいかな?」なんてことを、嫌でも意識します。「嫌でも」意識してしまうんです。ゲームBGMは「独立した音楽」であり、価値の高い資料なのです。何も考えず純粋にゲーム(音楽)を楽しめた頃には、もう戻れないんですよね。

その代償というか結果というか。私としてはDJという行為においてのゲーム音楽という、質の違う楽しみを見いだせたのは間違いありません。楽しみだけではなく、多くの出会いや経験もさせていただきました。
「何も考えずに楽しむことは出来なくなった」代わりに、「考えることで質の違う楽しさを見いだせた」のです。



終わりに

はてさて、こと桃鉄という一つのゲームの、ほんの少し浮かんだ疑問に対して文字数を費やして書いてきましたが、私にとって、私がガチ勢へと徐々に変遷していっているという事実は、「何も考えずに酒を飲んで攻略法も知らずワイワイ楽しめた」頃へは戻れないという事実に繋がるのは確かです。

「きっとこれも違う楽しさを見いだせるきっかけになっていると思います」...という言葉で締めたらとても綺麗だと思うのですが、さすがにただの綺麗事ですね。

今後そんな、桃鉄を質の違う楽しみに移行できるかは何とも言えません。「なんか運の要素も減ってヒリヒリする桃鉄になっちゃったなー」で終わるかもしれません...が、そうならないかもしれません。
ただ、徐々に知識をつけ始めた自分がベテラン勢に挑むのは楽しいし、たまに勝てるのはまた楽しい。何も知らない人を蹂躙するのは特に楽しくない。そういった自分の価値基準に気づけたことは微々たるものですが一つ自分の成長であると思います。
昔の無知な自分に戻れない一抹の寂しさはありつつ、まだ見ぬ楽しみや新たな価値基準、パーティーゲームという自分の認識が変わった状態での景色がどういったものかは、模索していきたいです。

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