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テレビを見て不快になった話

妻がTVを付けていて、たまたま、兵庫県の公園の木を、県が伐採したという事に、抗議する近隣住民のニュースがやっていた。


うわぁ。だからニュース嫌いなんだよ。と心の底から感じたので今日の日記に記した。



公園の木の伐採を受けて、近隣住民は、

聞いてないよ!
何の相談もなしに!
勝手に判断した!

だそうだ。

何故貴方達に相談が必要?
全員の意見の一致が必要なら一生話は進まない。
そもそも貴方達は何の権利があるわけでもなく、何の責任を負っているわけでもない。何の協力をするわけでもない。


判断をしているのは、責任か、権利がある人なのだ。

そもそも何故木を切らなくてはならなかったか、考えたのか?この人たちは。

私も別に調べてないが、木を切るという作業をコストもリソースも割いて行うのには理由があったはずだ。

その部分の木を切ると、見晴らしや景観が良くなり、訪れる人が増え、駐車料金の収益が増加傾向なる。
木や木につく虫、落ち葉の管理をする人や税金が足りない。
それこそ近所からクレームがあった。等。


説明をしている県の役員さんは、今後は説明する様に心がける。
等、未来の話をしていた。


近隣のクレーマー達は、相談がなかった。傷ついた!と、過去の話と感情の話をしていた。
生産性もなく、ただただ人の時間を奪うだけ。


それで謝罪も説明もない。って貴方。。
ただの憂さ晴らしにそんなTV出ている暇があるのは貴方達だけなんだよ。
忙しい人の時間を奪うんじゃない。

その県役員さんの時間も労働時間であり、給与というコストなわけだから、圧迫された県のコストが、他の公園で木の管理コストを圧迫して、同じようなことがおこるだろう。

想像力の無さはもはや罪だ。


権利のない弱者が、裁量権のある強者を妬んで僻んで、ダラダラと生産性のない文句をいう。

ニーチェのいうルサンチマン症候群そのものだ。

弱者は強者を妬み、僻んで引き摺り下ろそうとする。もしくは弱者同士で共通の敵をつくることで結束し、上っ面の連帯感を楽しむ。

だが、結局のところ。
弱者は弱者で、弱いのは本人の責任。
想像力を高める努力。自分を心身共に強くする努力。
自分のことを一通りやって、人を助けられる余力を持つための経済的、時間的、裁量権的強さを身につける努力をしてこなかった本人の責任。
言葉は悪いが、弱者はカスなのだ。

それが嫌なら強者を目指すしかない。

そうして努力し、強くあろうとする者が増えた時。
世の中は今より良くなっているのではないでしょうか。

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