ひとり暮らししたら、寂しくなってエッセイ書き始めた (想い出の山梨暮らし)
東京の実家を出て、山梨でひとり暮らしをする。
これはかなり急な決断だった。
2021年が明けて、わりとすぐのこと。
毎日をどこか悶々と過ごしていた25歳の僕は、ある日ふと「一旦東京から離れて生きてみたらどうなんだろう」と思った。
その先のはっきりとしたビジョンがあるわけでもなく。
明確な計画があるわけでもなく。
しかし、そう思った翌日には、突拍子もなく父に伝えていた。
「なんか、山梨とかでひとり暮らししてみよかな」
こう特に改まりもせず、「この週末はイオンモールにでも行ってこようかな」というテンションで。
すると父は
「いいじゃん。そういうの経験しておくべきだよ」
と、なんだか喜んでくれた。
父はすぐにインターネットを開き、山梨県内の求人情報や住宅情報を調べ漁り始めた。そしていくつかの求人へ応募、良さそうなアパートの問い合わせをその日のうちに済ませた。
速い。速すぎる。その勢いたるや、一刻も早く息子に家を出ていってほしかったのでは、と切なくなるレベルであった。
それでも別に、何もかもテキトーに選んだわけではなかった。
思いがけずトントン拍子でコトが進み、応募した求人の面接をご時世柄オンラインで受け、採用をもらった。そして職場から自転車で通える距離に、築浅の綺麗なアパートを見つけ内見をし、契約。
こうして2021年の4月から、山梨県のとある街での生活が始まることが決定した。漠然と思った「一旦東京を離れてみようかな」から、実際に離れるまでほんの2ヶ月足らずのことだった。
だから急な山梨行きに対して、友だちなどから「急にどうしちゃったの?」だとか「なんで山梨なの?」だとか聞かれたとしても、全く答えられなかった。
だって、当の本人がわかっていなかったんだもの。
全く心が追いついていない状態のまま、身体だけは順調に甲州街道を歩き始めてしまったのだもの。
これは本当に「衝動」としか言えないのかもしれない。
とんでもなく環境の変化に弱いくせに。生活環境を変えることへの抵抗がものすごくあるくせに。
新生活にワクワクしたと思ったら、絶望的な不安に急に襲われて目の前が真っ暗になっている。でも20代後半からの生き方として、結構良い選択をしたのかなとは思っている。
4月になれば僕の「山梨暮らし」が始まる。
ああ、もう始まってしまう。
お仕事も、もう決まっている。
これから生活をするアパートの鍵も、もう手元にある。
あとはこの心と身体が山梨に向かうだけだ。
荷造りも完璧。
あ、カバンの中はたくさんの『不安』で散らかっているけど。
(2021年3月27日)
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こうして始まった僕の山梨暮らし。
衝動的に動き始め、急ピッチであれやこれやと準備をして、自分だけのモノで好きなように整った部屋で迎える新たな暮らし。
ただ、急だったため、インターネットの引き込みがどうしても間に合わなかった。
「やはり今は新生活の時期で立て込んでいて、引き込み工事は早くても連休明けになってしまうかと……」
それは仕方ない。
急にお願いして急にやってもらえる時期じゃないことはわかっていた。
ただ、やはり生活が始まるとなにかと不便であった。悲しき現代人である。
心もとない我が通信量を少しでも節約するために、友達や家族とのオンライン通話や、動画視聴などから離れるようにした。
話したいエピソードが山ほどあるのに、聞いてほしい話がいっぱいあるのに。
そしたらなんだか、ものすごく寂しくなってしまった。
寂しくなったので、エッセイを書き始めた。
オフラインで使える、メモアプリに言葉をどんどん書き溜めていった。するといつしか「書くこと」が習慣になり、エッセイを書く時間が楽しくてたまらなくなった。
せっかく山梨暮らしのあれこれを残していくのなら、都会から田舎に渡った「移住者ブログ」のように、誰かのために綴っていくつもりでいたけれど、エッセイというのはこんなにも「自分」と向き合えるものだとは。
これから順次投稿していくお話は、僕が山梨という新たな環境で暮らしていく中で思ったことや感じたこと、考えたこと、そして想い出や記憶を言葉にしたモノです。
山梨のことは全然わからない。
でもきっと、僕がどんな人なのかはわかるのかも知れません。
※プライバシー保護の観点から、人物や団体、固有名詞などは仮名とさせていただきます。ご了承くださいませ。
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