見出し画像

苦味による舌筋と舌周辺の筋肉の動きと心理作用


1、はじめに

 近年、うま味の受容体が発見されたことにより、味覚は今では五大要素として語られることが多くなっております。塩味、甘味、酸味、苦味、うま味ですね。この内、うま味を省いた四大要素についてそれらを口にした際の筋肉の反射と味わった際に感じる心理について順に紹介していきます。馴染みのない筋肉の名称が幾つか出てきますが、重要視しているのは動きの方向、早さ、強さといったそれぞれの特徴です。

 動きを見せる筋肉の特定とその名称については勉強し注意深く特定したつもりですが、私は専門家ではありませんので正確でないものもあるかもしれません。その際はどうかご容赦ください。

 また、これも専門外ではありますが、味を感じた直後の筋肉の動きについては自律神経系-体性神経系の反射であり、この時は交感神経の活動が高まっている時であると考えられます。そして余韻後の体全体の姿勢の僅かな変化は副交感神経の活動が高まった結果ではないかと考えています。ですので、心理として述べているものは、交感神経の活動が高まり優位になった時から副交感神経の活動が高まり優位になった時までの時間の流れの中にあります。またその心理については自律神経系の反射から得られる感覚(動き)と記憶との結合がもたらした条件反射或いは癖や習慣ではないかと考えております。これは私の記憶(経験)が大いに関係しているということです。つまり私が得た物語と皆さんが得る物語が同じものになることはないでしょう。

 ただ、ある程度の年齢の方であれば、経験に偏りや差異はあれど同じ日本社会で得た経験はあると思われますので、ある程度は共感していただけるのではないかと思っています。

 それぞれの味覚物質を摂った際の舌筋とその周辺の筋肉の動きに関しても、全ての人が私と同じ結果が得られるとは思えません。やはり、そこにはある程度の個別性があると考えています。
 例えば、塩味を摂ると舌の動き、姿勢、気持ちが前向きになると述べておりますが、この動きが全く異なる方も少数おられるかもしれません。
 また動きの方向は同じでも、強さが異なる方はもう少し高い割合でおられることと思います。例えば、塩味と酸味は似たような動きをしますが、この強さや早さが逆転するなどです。この場合の原因として考えられるのは、それぞれの味覚物質を受容する味蕾の数が人によって個別性があり、また味蕾は10日ほどの間隔で繰り返し再生されるため、状態にも影響を受けるからだと考えています。
 上記のことを考えますと、以下で述べるそれぞれの味覚物質による動きを活用することはこの理論を使う人に効果が依存するということです。

 考えてみますと、私の明かした理論は塩味、甘味、酸味、苦味の四つです。これは血液型占いと同じ数です。つまり傾向があるということしか言えないのです。加えて、恐らく血液型占いは統計データに基づいていると思いますが、私の理論には有為な統計的な裏付けは施されていません。私の経験から得た着想と、私と数人の体を使った実験結果のみが裏付けです。
 このことを理解してご活用いただければと思います。

 しかし、この実験では、味覚を呈する最小単位かつ純度の高い物質を使っています。そして味覚に対する身体そのものの反応は快と不快の2種類のみです。そのためそれぞれの呈味を持つ純度の高い味覚物質を受容した際の反応は2種類に限られ、そこに強弱が加わると考えています。


 また、心理描写の際に「昆布のような概念になって」とありますが、これは動きの少ない状態を示しています。(詳しくは「こんぶ思考」という記事をご覧ください。)
簡単に言うと、ただじっと座って思考を停止した状態のことです。生理学的には副交感神経の活動が高まっている状態です。この状態で感覚のみを内観させます。瞑想や座禅を組んでいるようなものだと理解して頂いても良いかと思います。つまり、意識の範囲が自分から社会や自然へと範囲を広げた状態です。得られる心理はとても淡いものですので、心の中に乱雑さが残っていると感じることはできません。是非、静かな環境で、一人で、日常の全てを忘れて試してみてください。


2、苦味とは、自意識との決別、再生機能

まず最初に、食事における苦味の全体的な効用を列挙しておきます。ただ、苦味は薬にも毒にもなるようにそれぞれの特性を把握することがとても重要になります。食材としては主に野菜ですが、動物や魚の内臓にも部分的にあります。

  1. 体の熱を取る

  2. 体の余分な水を取り除く

  3. 体の老廃物を取り除く

  4. 神経の興奮を鎮める

 先程の酸味と同様に、私たちの普段の生活の中では食事において苦味だけを口にすることは恐らくありません。また苦味は一日に摂取できる量が定められており、それを超えた摂取は健康に害を及ぼすとされています。京料理をしていると最も身近な苦味物質は豆腐を作る際に使うにがりですが、これも摂取し過ぎると下痢などの症状を引き起こすようです。ですので、苦味だけの成分を使って観察することは日常生活に支障をきたします。そういう訳ですので、今回はブラックコーヒーを飲んで観察してみました。苦味物質としては主にカフェインになります。

①コーヒーを口に含むと、まず、微かな酸味を感じます。味が弱いため筋肉にどのような反応をさせているかは分かりません。酸味が感じられなくなると、甘味のような微かな味が舌に残り、体全体の筋肉は弛緩し始め楽になったような気分になります。

②舌に残った甘味は微かなものですが、同時に苦味を感じ始めるとその落差により、茎突舌筋がやや弛むのが分かります。この動きは塩味と甘味の時と同じですが、塩味の時と比べると弛み方は弱く、甘味の時と同じくらいではないかと思います。弛み方は弱いのですが、耳の下辺りと下顎の先で血管が脈を打っているのが分かります。苦味を感じているため意識は脈打つ度にしっかりと感じられます。その為、塩味の時よりは弱いのですが、意識が顔だけに限定されます。自分自身と向き合わされるような感覚ですね。(動きは求心的)

②内舌筋の方は舌の形が扁平になります。横舌筋(舌の幅を縮め長くする)と垂直舌筋(舌の幅を広げ薄くする)が交互に小さな緊張と弛緩を繰り返しています。(動きは求心的)
 
 ここまでは塩味の時と同じような反応です。ですが、この後の動きが塩味とも甘味とも全く異なります。それは口に残った苦味の余韻が恐ろしく長いからです。そして気付くと、

③外舌筋の一つであるオトガイ舌筋は舌を突出させて、上顎を下から力強く押し続け、そのせいで内舌筋のひとつである横舌筋が恐ろしく力んでいます。そのことに気付き、反射的に口全体や舌を使って苦味を綺麗に除こうとするのですが、舌の様々な筋肉は無意識の内に力んでいます。表情は恐らく苦み走った表情になっていると思います。そしてこの苦味を噛み締めるように唾を飲み込もうとする時、舌と下顎を無意識に捻じらせます。唾が喉元を通る直前は、舌は上顎の内側を上方へ力の限り押し上げ、口元はまさに苦い表情になっています。(動きは捻じれる)

④唾を一度飲み込んだだけでは苦味は消えません。何度も繰り返すことになります。その際、徐々に筋肉の緊張は弱くなっていきます。(捻じれ)

⑤上記④の動きは別の飲み物を飲むまで繰り返されます。そしてその間、口の奥の方は常に苦味を感じており自意識を覚醒させてきます。唾を飲み舌を捻らせ、四つの外舌筋を動かす度に気分はやや疲れてきます。しかし口の奥で感じる苦味が筋肉を弛緩させることを許しません。疲労による自意識減退の動きと苦味による自意識覚醒の動きが螺旋の渦のように絡み合い終わることがないのです。(捻じれ)

 以上がブラックコーヒーを飲んだ際の口周辺の動きになりますが、他の三つの味覚の場合に比べて、より深くより広範囲で長時間の動きになります。
 副交感神経の活動が高まる生体反応を生理学的には、「休息と消化の反応」と言うそうですが、苦味を口にした際の動きを見ると「消化」に当たるのではないかと考えています。

以下に、動きの特徴をまとめておきます。

  1. 苦味が感じられてくるにつれて意識が内向していき、口に残った苦味によって動きが捻じれる。

  2. 自意識の覚醒と減退がまるで闘争と逃走のように感じる。

  3. いつまでも苦味が意識を律してくる。

  4. 他の四大味覚との早さの比較では、最も反応が遅く、余韻が長い。

  5. 動きのイメージとしては広く深く飲み込まれる動き。


※苦味の余韻が長い理由
 苦味の余韻が長い理由として物理的な要因が挙げられます。
 苦味は主に舌の奥の方から喉にかけてよりはっきりと感じられますが、この物理的な面から苦味を除く手段が唾液によるすすぎ洗いのみに限られることが大きいと考えています。(うま味の余韻が長いのも同じ理由になると思われる)
 他の塩味、甘味、酸味は舌の真ん中から先端において強く感じられますが、この物理的な面から舌を動かして擦り洗いをすることができます。これに唾液によるすすぎ洗いも加わりますので、味の余韻が苦味に比べて短くなるのだと考えられます。

※苦味による口腔内の捻じれの動きの理由
上記の「苦味の余韻が長い理由」により、舌の奥と喉元に残った苦味物質を除こうとする無意識の行動と目的を達成できないことで、舌を様々な形にしたり位置を替えたりするのだと考えられます。その総合的な動きが捻じれとなっています。


3、意識は再生されるのか、それとも怨嗟となり干からびるのか


先述してきたその他の三つの味覚と同様に、昆布の感覚になってこれらの筋肉の動きを得ると、得られる感覚は状況によって二つの方向に分かれていきます。
 計画通りに仕事が進み、休憩がてらコーヒーを飲んだとします。そういう心の満たされている状態の時、感覚は感謝の念を深めていきます。口中に残る苦味、口中から自分を突き上げてくる苦々しさ、力の籠もった舌と顎のぎこちない動きが、感謝の念が深まるにつれて薄くなり解れてきます。その時、自意識は素粒子のように小さくなり、地上から上空へと上っていくように感じます。水平方向(現実社会では地平線上に物事が拡がっている)に拡がる様々な関係性から解き放たれて心身ともに弛緩し、時間はゆっくり流れているようにも感じられます。それは筋肉の緊張から解き放たれ、苦味によって感じられていた緻密で小さな空間から青く澄んだ大空のような大きな空間へ誘われたようでもあります。この大きな落差によって、食に感謝の念を憶えるのです。この時、意識は生まれ変わったかのようにどこまでも澄み切っており、どのような困難も不快なことも受け入れられるような大きな構えを見せています。これが一つ目の方向です。
 逆に計画通りに仕事が進まず切羽詰まった状況においてコーヒーを飲んだとします。そういう時、感覚は怨嗟の念を深めていきます。口中に拡がる苦味はどす黒く、まるで敵であるかのように感じられ、節々に力んだぎこちない力強さで飲み下されます。大袈裟に言うと、嚙み締めた歯はギリギリと鳴りそうで、表情は皺を深め苦み走り目は般若のようにくわりと見開いています。負けまいと体が捻じれ、体中に力が漲っています。その時、自意識は重く深々と沈降し、時は止まったかのように感じられます。世界は蓋をされたように狭められ、その閉ざされた小さな世界で自己の存在に甘黒い重みが加重し捻じれていくようにも感じられます。その落差に怨嗟の念が募るのです。これが二つ目の方向です。
 
 苦味についてもエピソードを一つ挟んでみます。
 コーヒーが飲めなかった若い頃、私は缶コーヒーのテレビコマーシャルを見て、「あんなものの何がおいしいのだろう」と感じていました。修業時代までは苦さと酸っぱさのほんのりとした紅茶にミルクと少量の砂糖を入れて円やかにして飲むことが多かった記憶があります。修業時代はとにかく忙しく、休みの日の朝のゆっくりとした時間に飲むミルクティーは固く小さく凝縮した心をしみじみと癒してくれたように思います。砂糖とミルクの甘く円やかな味わいが酸味と苦味を暈し、いつまでも続く円やかで曖昧な余韻の中で疲労した神経を回復させてくれたのかもしれません。当時の板場は野太い怒号と鋭い叱責が絶え間なく響き、時折鉄拳と張り手の飛び交う場所でした。その捻じれを要求される環境で平然といられるほど、私の競争心は育っておらず、苦味と真正面から対峙することができなかったのだと思います。ですので、私はミルクティーの優しい味わいを無意識に欲していたのだろうと思えてくるのです。
 コマーシャルの中でゴクゴクとコーヒーを飲んだ俳優はぶるぶると頭を振り苦み走った表情になると、顔を上げ明日の方向を向きます。折り目正しいスーツを着て、背筋を伸ばし、胸を張っています。新しさと真っ直ぐさを表象し体現した一連の演技は若さと誠実さの満ち足りた様を表現しているようで、酸味と苦味によって衰えた自意識が生まれ変わった、活き活きとした印象を与えてきます。きっと彼らは生まれ変わった企業戦士を表現しているのだと思います。そしてより具体的に観るならば、背筋を伸ばし、胸を張る動きは正に塩味の動きであり、目標へと一直線に進む効率的な前後の動きを表していると解釈できます。そう考えるならば人の感性において、新しさの源は意識を感情から知性へと切り替える酸味の動きと古い自意識を捨て去る苦味の動きなのだと思えてきます。そして日本料理の食材においては拡散する酸味の動きを見せる食材の代表は鰹であり、余韻の続く苦味の動きを見せる食材の代表が昆布なのです。つまり、食事と栄養によって体が生まれ変わるのと同様に、私たち日本人の感性は伝統的な日本料理の食事を通して生まれ変わっているのではないかと思います。


4、追記

 苦味に近いものには渋みと旨味があると思います。特に渋味には苦味によって衰えていく存在感にトドメを刺すかのような強い嫌悪感を得ます。また、ここでのうま味はグルタミン酸ナトリウムを直に舐めた際の動きです。グルタミン酸のみの凝縮した質の高いうま味は口にすると、口の中に留まりまとわりついてきます。そこに気持ちの悪いもどかしさを感じます。この感覚に渋い或いは不味いに近いものを感じます。



参考文献
体癖                       野口晴哉著     ちくま文庫
自律神経の科学     鈴木郁子著     講談社
基礎日本料理教本                           柴田書店


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?