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長男の呪縛に気付いた①

県内の大学に進学しよう。就職先は県内の企業がいいかな。今思えば、高校3年の時のあの選択、就活をする時のあの選択は、長男の呪縛にかかっていたからだったのかー!!


僕が小学生の頃、我が家は僕を含め9人が一つの屋根の下で暮らしていました。いわゆる田舎の大家族。

正月やお盆には親戚家族一同が、10畳ほどの部屋が2つ繋がった仏間に集結し、坊さんのお経を聞き、その後仕出し屋が持ってきた豪華な料理を一緒に食べるのは恒例行事。

家族だけでも毎日ドタバタで、兄弟喧嘩が家の中のあっちこっちで絶えず勃発していて、賑やかで楽しかった。

僕は3人兄弟の真ん中。姉と弟がいます。だから、僕は長男。

ちなみに我が家はサザエさん家庭が2代続いている女系家族です。パプアニューギニアで戦死した一男さんという名の曽祖父以降、我が家には男が生まれて来なかったらしく、祖父も僕の父も養子。男(僕)が生まれたのは、我が家の歴史では実に80年ぶりだったみたい。

我が家を仕切っている大黒柱は、親戚一同誰に聞いても同じ答えだと思うが、現在87歳の祖母。貧しく苦しかった戦争を母親(曽祖母)と生き抜き、貧乏過ぎたため集落から見下されていた時代の反骨心を糧に、一家の屋台骨としての責任を自分一人の背中で全て背負って生きてきた祖母。

長女として家を継ぐために、結婚した相手は大酒飲みの博打好き。職業:建具師。貯金なんて言葉は自分の辞書には書いていない!と言わんばかりに、持ってる金は、全て酒と博打に注ぎ込んでしまうような男。

ただ、祖父は義理人情を重んじ、何より建具師としてのスキルは文句無し。大工仲間からの信頼も厚かった。「男同士の約束なんだから、女が口出しするんじゃね〜!!」ってな感じ。

当時貧しく集落からも見下されていた我が家、祖母から聞いた話では家がめちゃめちゃボロかったらしい。いわゆるほったて小屋。立派な家を手にすることで見下されている状態からいち早く抜け出したいという思いから、

「なんとか近所に負けないくらいの立派な家を建てて欲しい。」と祖母は祖父に頼んだことで、大工仲間と一緒に建てたのが今の我が家。

祖母祖父時代は、男が家を継ぐという価値観がとても強く、結婚したら女は男の子を産むのが仕事だと言わんばかりの雰囲気だったみたいで、実際祖母が何人目かの女の子を産んだ時には、「また女なんて産み落としやがって!!」と祖父は子供を必死に産んだばかりで衰弱している自分の妻に向かって吐き捨てたらしい。相当祖母の記憶として、強烈に残っているんだろうな。

祖母からたまに聞く話を思い出すだけでも、当時の日本が戦争で勝つために、力の強い男が上で、女は下。という男至上主義だったんだなと思う。

この物語を僕の視点で残しておきたい。そう思ったので、書いています。まだまだ物語は続くので次回をお楽しみに・・・。


書こうと思っている今後の流れはこちら↓↓

・会社の話

・XSCHOOLの話

・長男の呪縛に気づいた話

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