メモのような年末年始と短編



*全ては警察官に声を掛けられたところから始まった。

「ちょっと。」

私は自転車のライトをつけていなかった。それに対する注意のようだ。
色々確認された。こんな事って初めてだ。正直、イライラしていた。寒いから早く帰りたかった。

「はいはいはい、次からは気をつけます。じゃ。」不愛想に答えた。



*口唇ヘルペスを発症。
痛い。ストレスか?今の生活で何にストレスを感じるのだろう…。無意識に自分を追い込む癖が、まだ抜け切れていないのか…?厄介。


その三日後、体調を激しく崩した。
鼻水、頭痛、吐き気、喘息…。風邪症状のオンパレードだった。
病院はお休みだったので、応急診療所に駆け込んだ。

街はクリスマス。
楽しいイベントや飲み会に行くはずだった。そこで出会う人だってちゃんといたはずなのだ。色々期待していたのに。あーあ。
人との縁を「操作」するな、という戒めだろうか。



*どうしても薔薇が欲しかった。
絶賛体調不良なのに、よく分からない意地を張った。
這いつくばりながら、好きな花屋でオレンジと白の薔薇をそれぞれ購入。
頭がくらくらしてきた。案の定、風邪は悪化。でも、満足だった。


こういうことが、私の人生にはたまにある。
どんなにナンセンスでも、やると言ったら必ずやる。槍が降っても自分との約束は絶対守る。
エネルギー消費は凄まじいし、今時のスタイルではないかもしれない。でも、そこが可愛いよね。(笑)



*「日本のアカデミーは日本語に守られている。」というフレーズが、頭から離れなかった。
異なるジャンルの新書でそれぞれ目にした。脳科学、教育、概要としての宗教史。
つまり、書き手も読み手も日本語しか出来ないが故に、議論が日本国内でしか「活発」にならない、とのことだった。

「自己陶酔のためのアカデミズム」ほど胸糞悪いものはないし、馴れ合いで「知の研鑽」など出来るはずもあるまい。万物、上流腐れば下流も然り。常に新鮮でみずみずしい心を維持したい。



*母が買ってきたアイビー。
可愛くないと思っていた。
でも、ずっとその視線を感じていた。
私が情に脆い世話好きであることを、その子は見抜いていた。
すこし体調がよくなったので、お水を上げて太陽にさらした。
葉の色合いが鮮やかになり、すくすく伸びた。
「仲直りだね」と言われた気がした。そうだね。ごめんね。



*年始。
自転車から転がり落ちた。誕生日の前日だった。
段差を上がり切れず派手に倒れた。体の右側を負傷。イテテ…。痛いよ!

倒れる時、私は「革命派」について考えていた。
そして不思議なことに、自分が地面に倒れるまでの数秒がとても長く感じた。

「あ、私は倒れるんだな。倒れたことにも意味があって、そう、そうだ。この後、結構なイケメンが私に”大丈夫ですか?”と声を掛けてくるに違いない。そこからドラマチックラブが始まるから、そのために今私は自転車から転がり落ちているのだ!」

生憎、イケメンは現れなかった。
でも、「古い自分は死んだのだ」という感覚が痛みと共にじわじわと広がった。
生みの苦しみだったのか…。スノッブたちの腹いせか…。

一連の「厄落とし」が一旦終了。…やれやれ、災難だった。




*読んではその字面が消えていく、不思議なフランス長編小説を適切に表現してみたい、と思いあぐねていた。

それはありきたりな「霧のように」とか、「煙のように」などの言葉では物足りなかった。
私———、そう、私にとってそれは、その内容自体を忘れてしまった、ということでもなかった。
優れた翻訳故に、すらすらと流れていき、私の全身を駆け巡る。でもそれは、水のように確かな手触りと余韻を残すようなものでもなかった。では、一体何だ?


嗚呼、そうか。

あれは、「愛しい人の香水の記憶」に似ている。
どんなに忘れていても、それは決して消えてしまった訳ではない。
爽やかに、そして時に濃密に、脳裏に絡みついてくる記憶。


私を———、あなたを———、
捉えて離さないような、アレ。


*次回の更新は1/18土曜日です!お間違いないよう、よろしくお願いします。

憂鬱な月曜日が始まる前に、私の記事を読んで「あ、水曜日くらいまでなら、なんとか息出来る気がしてきた」と思っていただけたら満足です。サポートしていただいたら、大満足です。(笑)