「かりん」2020年5月特集号を読む③川島結佳子、碧野みちる、丸地卓也

前回までの続きです。今日は三人紹介します。

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水の惑星に住んでいるのにひたひたも被るくらいも分からずにいる

夜のアスファルトみたいに光ることあるのだろうかスペースデブリ

川島結佳子「マッシュアップ」


川島結佳子さんは、一貫して体温の低い作者です。自らの言葉が詩であることを全力で拒否しにいくような、そんな一面もあります。しかし、時には意外なものに対してやさしさを見せたり、ストレートな相聞を詠んでみたり、スタイルは一貫していますが幅は広い歌人です。おそらく、川島さんは自分が想定する以上に言葉の裏表が見えすぎてしまう、天才肌の作者なのでしょう。作りこんだ韻律よりも、少し粗くて短歌になるかならないかのぎりぎりの韻律を好むように見えるのも、言葉が詩的に力を持ちすぎてしまうことへの彼女なりの抵抗なのかもしれません。

引用した二首目では、宇宙ゴミである「スペースデブリ」に対して、それらも「光ること」があるのだろうかという問いを投げかけ、それは間接的に自らへの問いかけにもなっています。たとえば星のように、蛍のようにではなく「夜のアスファルト」のようにとしたのが川島さんらしいところです。ごみのくせに「スペースデブリ」なんて美しい名を与えられ、ぎりぎり詩の形を保っている。その浮遊感に、現代というまた浮遊した時代が重なって見えてくるようです。


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「唯ぼんやりした不安」を君に語りをへ卓よりけふの柿ひとつ減る

賢治とトシを想ひて雪を待つてゐるキムチ鍋のぐつぐつに噎せつつ

碧野みちる「歯を喰ひしばる」


ひりひりとした感覚や、激しい相聞の歌が特徴的な碧野みちるさん。つねに心をぴんと張りつめているような、独特の緊張感を持っています。彼女の歌の空気感は、そのまま現代という殺伐とした空気に同化していきます。生きるということにこんなにも全身を強張らせながら、それでもなお生きていくこと以外の選択肢を持たない若者たち。生きづらさ、という生易しい言葉では説明できない、そこにあるのは「生きる」という戦いなのです。時代は違いますが、例えばシルヴィア・プラスの詩のような精神性を、ときおり彼女の歌に感じることもあります。

碧野さんの「生きる」という緊張したテーマは、歌の中では食物の形をとって現れることが多く、台所、食卓、恋人、それに付随する包丁、火、そして女といったイメージは連鎖して、「生きる」ことへの執念にも似た力強さを生み出しています。本当はもう少し柔らかい感性の歌があってもいいのでしょう。けれど、碧野みちるという歌人は、強い言葉をもってしないと、自分を納得させることができないのかもしれません。


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眠らない西友に眠る魚たち目を赤らめてレジスター見る

からっぽの食品売り場を想起せよ酔いつつ未来を語ってしまう

丸地卓也「流木の椅子」


丸地卓也さんの歌は、あまり饒舌ではありません。言葉が多くを語るタイプの歌ではないのです。モチーフの豊富さ、知識の網の深さ、そして何よりどんな存在に対してもある「意味」を見つけ探ろうとする好奇心の強さ、そういった美点がたくさんあるのにもかかわらず、出来上がった作品はどれも一歩引いたような視点から、静かにものを語ろうとしています。等身大でありたい、けれど少し小さいくらいがちょうどいい。文学の世界にその孤独感が投影されるような作品が多いのも、自分らしくいられる場所がそこにしかないという気持ちの表れかもしれません。もっとも、丸地さんはそうした感情ですら、あまり言葉に出すことはしません。

引用歌の二首め、ネットで有名になった川北天華さんの「夜空の青を微分せよ」の勢いを借りつつ、でも想起するのは「からっぽの食品売り場」なのです。近未来小説のようでありますが、これは正しく現実のこと。からっぽの食品売り場は悲しい。けれどそこには未来がある。それは悲しい未来だ。未来は悲しくあってはならない…。直接的ではありませんが、誰かを前にして、悲しい未来を語ってしまう自分に対しての、苛立ちや諦めのようなものを感じます。


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折り返しました。明日以降へつづきます。


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