「かりん」2020年5月特集号を読む⑥のつちえこ、大橋謙次

一週間以上書き続けているこの記事も、おわりが見えてきました。完走目指して残り四人です。今日は福岡ののつさん、大阪の大橋さんと、東京ではなかなかお会いできないお二人の作品を読んでいきます。

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勝った奴が強いと言い張る人と食うバターメロンパンあんホイップサンド

イントロのじゃんじゃかじゃかじゃん繰り返す心で今年引っ越しをする

のつちえこ「まくしたてたる」


普段の「かりん」を読んでいると、のつちえこさんはシンプルなつくりの歌も多い反面、時折「ヘンだな」と思う歌も見受けられます。正統派の中に個性派が住んでいるような感じで、引き出しの多い作者だなと思います。小田切拓さんは特集号掲載の評の中で、「観念的な問いかけがいつも存在し、具体と抽象を兼ね備えている」と書いていますが、のつさんの歌は、「具体」を見せる力量が飛びぬけている一方で、それに重ね合わされる「抽象」がどこか「ヘン」なところからくるなという印象です。

引用歌の一首目、どちらが具体でどちらが抽象かは微妙なところですが、「勝った奴が強い」という化石のようなこの価値観を「抽象」とし、下句の「バターメロンパンあんホイップサンド」がその具現化だと考えます。胃もたれするような甘いパンの羅列(鈴木加成太さんは、「バターメロンパンであんホイップをサンドしたパン」と読んでいましたが、僕は「バターメロンパン」と「あんホイップサンド」の二つのパンがあると読んでみたいです)が、「勝った奴が強い」という枠組みをゴリゴリに体現し、まさに「まくしたて」るように迫ってきます。言葉が価値を持ち、それが思想となって迫ってくるのは本来いい気分はしないものなのですが、軽やかな口調と微妙にまぬけな韻律によってその不快感がどこか中和されるようにも思います。甘いものは別腹、のような不思議な読後感。このバランス感覚ものつさんの短歌の特徴かもしれません。


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ひとつとばしで踏む点字ブロック揃わない歩幅を少し揃えるように

隙間なく詰まるチロルと同化して型に収まる自分を許す

大橋謙次「TIROL」


言葉が映像を持っているのは当たり前のことなのですが、大橋謙次さんの短歌を読むと、そのことをより強く感じます。歌を読んで「情景がわからないなあ」と思うことがあまりありません。人類史や自然のような壮大な物語よりも、実際に人がいて、街があって、その閉ざされた箱の中で感情が渦巻いているような、小さな物語を好む作者だと思います。映像だけではなくどこか体温のようなもの、五感が言葉となって伝わってくるような短歌。読者に負荷がかからないのでとても読みやすいのが特徴です。

恋愛における自身の情けなさや葛藤を描くことが多い大橋さんですが、今回の連作ではそれらを「チロルチョコ」に託すという、ユニークな視点でまとめています。引用の一首目では、チロルチョコの形状からさらに「点字ブロック」を引っ張ってきたのでしょうか。二首目は一連の後半にある作品ですが、チロルチョコは今度は自らの「情けなさ」に許しを与える存在となり、物語がわずかに希望の方向性をもって終わることが示されます。良質なミュージックビデオのように、言葉が映像と有機的な連なりを持っている一連だなと感心します。もっとも、少し欲を言えば、「小さな物語」の中で葛藤する自分を描く大橋さんが、それを「大きな物語」に投影したときにどんな世界が生まれるのか、見てみたい気持ちはあります。思い切って「型に収まる自分」を捨て、「大きな物語」を生きてみることで、「小さな物語」の見え方も少し変わってくるのではないでしょうか。


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次回、最終回へ続きます。

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