「かりん」2020年5月特集号を読む⑤小田切拓、岡方大輔

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高級なホテルのコーヒー一杯に満たない時給で働く図書館

この地図を拡大したら僕がいる 拡大せずに見つけてほしい

小田切拓「規格外」


小田切拓さんは僕と同い年であり、ほぼ同じ社会的背景を経験してきたことから、歌の中での考え方や思考の枠組みが似ている部分があると感じています。僕たちの世代は、「失われた十年」に生まれ、幼少時代は「キレる〇〇歳」の報道を見て育ち、その揺り戻しで行われた「ゆとり教育」を経過し、成人後は「三年で辞める若者」と揶揄されながら、なんとか社会の中で自分の人格を保ってきた世代です。こうした社会的文脈の中で、小田切さんの短歌には、ある「カテゴリー」にくくられることに反発する姿と、いっそその「カテゴリー」にくくられてしまおうと悩む姿と、相反する二つの姿勢が描かれています。

引用歌の一首目、わかりやすすぎるほどに対比された「高級なホテルのコーヒー」と「時給」が、厳しい労働環境を浮き彫りにすると同時に、「図書館」という仕事へのプライドも見え隠れします。「図書館」で働くために「時給」を選んでいるかのようで、主体はこうした社会のカテゴライズに自ら飛び込んでいったのではとも感じます。それはある意味では、カテゴライズに対する最強の反発なのかもしれません。社会に埋もれた「僕」を拡大せずに見つけ出せるか、という小田切さんからの挑戦状なのです。


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避難所になったり投票所になったりする体育館からするどき声する

大富豪でも大貧民でもないわれら長い長いレシートにくるまって

岡方大輔「颱風」


岡方大輔さんは、いつも恐ろしく冷静に世界を見ています。言葉が自分の内側から出てくるというよりは、外から受け取った言葉を商品のようにパッケージして、「現代」というラベルを貼って届けているような印象です。感情が介入しないことを、表現として悪いものだとは思っていません。それは、ニュースキャスターがどんな場面であっても的確に「状況」を伝えることを使命とすることにも似ています。言葉によって操られた不完全な感情は、むしろその文字列を単なる政治的なプロパガンダのように見せてしまう。岡方さんが世界を歌うとき、その危険性は慎重に排除されているのです。

引用の二首目、「大富豪」でも「大貧民」でもないのだから、「われら」の属する階級は「平民」であることは一目瞭然です。一連を台風被害のために避難所で夜を過ごしたことを歌っていると読むと、避難所に集められた「われら」はすべて平民で、こんな緊急事態であっても「レシート」という資本主義の波に抗えないまま眠りにつこうとしているのでしょう。あるいはそれに気づいてしまったことで、避難所という小社会がぐっと現実に引き寄せられてしまう。自然現象によって可視化されるのは、いつだって人間社会のいびつさに違いありません。

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次回へ続きます。


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