「かりん」2020年5月特集を読む②川口慈子、辻聡之

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オロオロと蜘蛛が八足歩行するキャンドルの灯が届くあわいに

才能というギャンブルにくずおれた家族が回すビーチパラソル

川口慈子「体温」


フレーズの力強さで、読者の心をぐっとつかむのが上手な作者です。川口慈子さんの歌の魅力は、ど真ん中にストレートを投げ込むエースのような素直さにあります。そのストレートは、ずっしり重い球というよりも手元でノビてくるような球で、感覚のストライクゾーンを読者と共有するコントロールのよさも光ります。つい野球で例えてしまいましたが、川口さんの本職はピアニスト。丸地卓也さんは、その音楽的感性を「全身が感覚器官であるよう(特集号歌人論)」と評しています。

引用歌の二首目、「才能というギャンブル」は現代の社会の能力的垂直構造をとらえています。能力によって可視化される社会階層が、「パラソル」の形状という実体を帯びているのです。こうした世の中をシャープに切り取る側面もまた、川口さんの鋭敏な感覚と切り離せないものなのでしょう。

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ジャムパンのジャムにかすっていないパンも許して、生きる意味なんてそんな

居酒屋の旬のメニューの蛤の酒蒸し生きていたから濁る

辻聡之「蛤」


辻聡之さんの作品は、底抜けに明るいということがあまりありません。ただ、絶望的に暗いということもないのです。生きていく中でほんのり感じるさみしさを、身近なものに託したり自分の記憶に引き寄せて歌ったりする。そうして他者と孤独を分け合うことで、懸命に前を向くのが「生きる」ということなのです。僕が好きな『3月のライオン』という漫画には、「自分のひとりぼっちに気を取られ、誰かのひとりぼっちに気づけないでいた」という主人公の天才棋士のセリフがありますが、辻さんは歌の中で「誰かのひとりぼっちに気づく」ことをとても大切にしているように思います。

その「誰か」へのまなざしは、例えば引用した二首のように、ジャムパンや蛤といった小さな存在へも向けられています。こうした孤独の集合体で形成されながら、ゆるやかにつながっている世界を辻さんは描き出しているのです。

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次回へ続きます。



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