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書評

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#村上春樹

書評 #87|街とその不確かな壁

 『街とその不確かな壁』は「拠り所」のようだ。街と壁は内に存在しているように感じるし、実世界の比喩でもある気がする。自らも気づいていない、意識したこともない心の核のようなものに思いが向く。それは深海奥深くへと潜るかのように孤独であり、静謐な旅路を連想してしまう。  表と裏。外と内。肉体と精神。そうした二面性を通じ、村上春樹が何を伝えようとしているのだろう。そこに人間、人間としての営みへの問いを感じる。社会と個人。個人の中に抱える光と闇。多層性。そんな言葉に行き着く。  強

書評 #76|色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

 思うことが多々ある。光と影。白と黒。『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に限らず、村上春樹の作品には対立が存在する。しかし、それは二分しながらも、同時に一つの何かを作っていたりもする。表裏一体。淡々と紡がれる文章は流麗だ。しかし、そこには血生臭い生命力も感じてやまない。生活感の有無の共存と表現すると平易に聞こえるが、そんな印象だ。  多崎つくるとその仲間たちが作った共同体は社会における個人の写し鏡ではないか。乱れなく調和する親密な場所は美しくも、どこか不自然で脆さ

書評 #27|猫を棄てる 父親について語るとき

 不思議なタイトルだ。ずっとそう思っていた。「父親について語るとき」という副題を記憶していなかったのだが、猫を愛する村上春樹が猫を棄てている姿はセンスの悪い冗談のように思えた。  表紙を開いて読み進めた。しかし、著者の父と猫はなかなか線を結ばない。文字の森を進む。陽光が木々の隙間から差し込む。森林浴をしたくなるような浅い森。少し先へと進む。そこで僕は思った。棄てられた猫は村上春樹自身なのだと。  父への多くの思いがここでは語られる。しかし、一部でありながらも、第二次世界大

書評 #24|村上T 僕の愛したTシャツたち

 軽快な文面の先には太陽がある。陽光に照らされて黄金色に輝くビールのグラスがあり、その前には彼方へと続く青い海が広がる。流れる、ザ・ビーチ・ボーイズの『サーフィン・U.S.A.』。時間が止まってしまった世界の中で、音色と波だけが穏やかに押し寄せる。  村上春樹が持つTシャツを紹介し、それにまつわる思いを紹介していく『村上T 僕の愛したTシャツたち』。Tシャツを題材としたエッセイであるが、そこから冒頭で紹介した風景が心に映される。  普段着の象徴でもあるTシャツ。その衣は「

書評 #20|女のいない男たち

 村上春樹の『女のいない男たち』を読みながら、「女のいない」という状況が何を意味するか考えた。六つの短編小説を読み終え、僕は「感情の揺り動かされた」状態と解釈した。  本作は感情の「振れ幅」の物語である。登場する男たちに似た特徴はない。しかし、精神の奥深くでつながっているような感覚を覚える。男たちは内にある感情を演技で隠し、違う自分になろうとし、場合によっては制御できない感情の渦に飲み込まれる。自我と世界との間に位置する女性たち。彼らは女性たちを通じて、世界と結びつく。

書評 #19|一人称単数

 村上春樹の『一人称単数』は話者によって紡がれた短編集。思考のあくのようなものをすくい取り、煮詰めるとこういう文章になるだろう。  著者の作品には「表裏」が存在する。文体は軽やかでありながら、感情表現は起伏に富む。人間の言葉を話す猿など、極端な展開を設定しながら、日常の趣がそこにある。起承転結をそのまま受け止めても、物語として充分に成立する。  しかし、自分自身の過去や現在、果ては未来につながり、感情を呼び起こす力も持つ。ノスタルジー。後悔。感動。期待。それはまるで、読者