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【タイ】タイは日本人にとってヘブンなの?:タイで10年暮らせた理由 ①タイとの出会い編

◆ はじめに:なんでタイにきたの? ◆

バンコクで初めて日本人の方とお会いすると必ずきかれること。

それは・・・ タイにはどれくらいいるの?なんでタイにきたの?

タイに一番初めに旅行者としてバンコクに降り立ったのは2005年、当時20歳、14年前です。ぎょっとする数字ですね・・・

さすがに10年もタイ住んでいたとなると歴史があり、いくつかの時代に分かれるので4回に分けて、私とタイとの関わりについて掘り起こしていこうと思います。

① 2005年~2008年 タイとの出逢い編:旅行者としてみたタイ

② 2009年3月~2013年3月 タイ人材紹介に飛び込んだ下積み時代

③ 2013年4月~2014年8月 タイで独立起業、社長?!時代

④ 2014年10月~2019年9月 再び会社員へ、新規チーム立ち上げ!タイでBestなリクルートメントチームを立ち上げ奮闘記


◆ 初タイ滞在初日にぼったくり事件?! ◆

学生時代にタイを旅行していたひとなら必ず知っている場所じゃないでしょうか?バックパッカーの聖地と呼ばれるカオサンロードです(写真は2007年のもの)

ここから私のタイの関わりはスタートしました。

大学一年のころから、サークルの活動でフィリピンの山奥の村にステイしたり(台風が来て崖崩れが起き遭難して死にかけた)、ベトナムホーチミンに一人で一か月旅に出たり、積極的にアジアへ出かけていた大学時代。

観光学部で勉強していたこともあり、周りはみな旅好き。タイは観光立国でいつでも行けそうだというイメージがあり、大学3年生を休学してアメリカに留学し3か月の夏休みで日本へ一時帰国している間にどこかアジアの国へ行きたいなと航空券を探してみてたまたまバンコク行きの安い航空券が見つかるまで行ってみたい旅行先としての優先順位が高い国ではなかったタイ。

そんなこんなで、2005年に偶然見つけた格安航空券で初めて降り立ったバンコク。

20代前半の私の一人旅のお決まりは、一か月ほどの滞在期間の初日のみホテルをとり、あとは歩いて周辺をお散歩してそのあと泊まるホテルを探して住むように旅することでした。観光地を回るよりもいろんな国の友達を作るような旅をするのがすきです。

当時空港はドンムアン空港がメインの空港でした。到着した日は予約しておいたカオサンのホテルに一泊して、朝からお散歩しようとカオサン周辺をひとりでぶらぶらしていたら、タイ人のおばさんがフレンドリーに声をかけてきました。

タイ人のおばさん 「日本人ですか?ひとり?私の姪っ子が日本に住んでいて、私は日本が大好きなの!今日たまたまワットポーという有名なお寺でセレモニーがあるから一緒にいかない?案内するわよ。」

 「へー!ぜひ一緒に行きたいです!(頭の中:とてもフレンドリーだなぁ。たびは道連れ、世は情けだもの、一緒に行ってみよう!)」

タイへ着いたばかりで物価やお金の価値もまだ全然つかめていなかった私。大丈夫かな?と思いながらもベトナムやフィリピンで現地の方々にやさしくしてもらったからきっとのタイでも大丈夫だろうと、タイ人のおばさんの誘いに即答しついてきました。

連れていかれたのはチャオプラヤー川の船着き場。木製の細長いボートに乗せられて、途中お供えの稚魚を川に流したり、街の様子を見ながらどんどん川を下っていきました。船には船頭のタイ人の金髪のお兄さんとおばさんと私の3名だけ。お供えのお花や稚魚はおばさんが買ってくれいろいろとタイの風習なども説明してくれました。タイについて早速親切な人に出会ってラッキーだなと思っていた矢先、船が目的地に到着しました。

タイ人の船頭さん 「ワットポー前につきました。ひとり6000バーツ(日本円約2万円)です。」

タイ人のおばさん (何も言わずに6000バーツを支払い、私のほうをみて)「あなたも6000バーツ払いなさい!」

 「え!??? いま500バーツ(日本円約1700円)しか持ってません。(助けを求めおばさんを見つめる)」

タイ人の船頭さん 「500バーツじゃ全然足りない!日本円なら持ってるんだろう!全部出せ!!!」 

 (どうしていいかわからず、船の上、突き落とされたら泳げない私は死ぬ・・・混乱しながら持っていた日本円4万円を船頭さんへすべて渡す)

タイ人の船頭さん 「もう降りろ!!」(船を陸につけ、無理やり私を押し出す)

 (起こった状況を飲み込めず、脅された恐怖とこれから現金なしでどうやって1か月のタイ滞在期間を過ごそうかと呆然と立ち尽くす)

一か月滞在予定で4万円しか現金を持っていなかったというのも、今考えるとあほなんですが、当時はゲストハウスやドミトリー1泊80~100バーツ(日本円約270~350円)だったので、バックパッカー的な過ごし方をすれば一か月くらいの滞在は全然賄えるお金でした。足りなければクレジットカードを使おうと思っていたのですが、実際当時はまだまだクレジットカードが使えるところも少なかったタイ。

初めてのタイ旅行、一日目にして一文無し、死亡。

タイ人への完全な不信感とショックを連れて、落ち着いてみたら怒りがふつふつと。最後のおばさんの豹変といい船頭さんが無理やり船から私を突き落とそうとしたときといい、くっそー!泣き寝入りしたくない!という気持ちで、カオサンの入り口にあるツーリストポリスへ。

 ツーリストポリスへ駆け込み、探偵ポリスと捜査へ ◆

一文無しの初タイ日本人大学生だった私。

ツーリストポリスへ飛び込み英語で状況を説明するもだれも英語がわからない!毎日外国人が駆け込む警察署のはずが、英語が少しでも理解できるひとは写真のジャックさんしかおらず、署内をたらいまわしにされた挙句、英語の理解できるジャックさんが出てきてくれました。

とても親切に話を聞いてくれるジャックさん。でも英語が完璧にわかるわけではなく、絵をかきながら事情を説明。そうすると、奥のDetective(探偵)オフィス通してくれ、代理で事情を探偵ポリスのおじさんへ説明してくれました。()ジャックさんは後日食事にもつれて行ってくれ、タイに旅行で来るたびに挨拶に行くお友達になりました。)

一通り事情を理解した探偵ポリス。車で捜査に行くから助手席に乗れと言われました。おばさんと出会った場所、案内された船着き場を回って、「ここから船に乗ったか?おばさんや船頭さんはどんな見た目でどんな服を着ていたか?船はどんなものだったか?」など事情聴取をされながら、船から無理やり降ろされた場所まで車で回りました。

一通り事情聴取と現場検証が終わったのち、

探偵ポリス 「ちょっとここで待ってろ」

 (というので待っている)

探偵ポリス (いったん戻ってきて) 「いくら戻ってきたらうれしいか?」

私 (お金の価値まだ理解できてない)「うーん、船には乗ったから相場の船の料金を引いた額が戻ってきたらうれしい!」

探偵ポリス 「待ってろ」

それから、30分くらい待たされ・・・・

探偵ポリス (お金を私にわたして)「取り返せたぞ、よかったな」

 「OMG!!!ありがとうございます!!涙」

なんとお金返ってきました。

はっきりした金額は覚えていませんが、3万円くらいは帰ってきたと思います。

一般の木製のボートで川下りをしても実際は数百バーツくらいのはずなので、今考えるとちゃかりとられているのですが、それでもほとんどお金が返ってきた奇跡!

後々、タイに長く住んでいる日本人の先輩方にこのエピソードをお話しすると、おばさんと船頭さんはグルで二人で詐欺をはたらいたのだろうと。

しかも、おそらく警察にわいろを十分に払っておらず、かばってもらえなかったからお金が取り返されたのだろうと。もしかしたらちゃっかり、探偵ポリスと犯人のおばさんと船頭さんで取られた分を山分けしていたのかもしれません。そこまでになると想像の域ですが、今考えるとタイあるあるの詐欺にひっかかってしまったということ。

初日に起こった詐欺事件と捜査同行、奇跡のお金返ってきた事件で、もうタイ人怖すぎ!あと一か月どこに行くのも怖くなってしまった私。タイ滞在残り1か月はどこにも行かずに、カオサンで本でも読んで引きこもろうと決意。日本人経営旅行会社を通してカンボジアのアンコールワットへのツアーへは参加しましたが、それ以外はずっとカオサンのいくつかのカフェやレストランで読書をしたり、ものを書いて過ごしました。

もう二度とタイへくることはないんだろうな・・・と思いながら。

しかし、引きこもっていたことが吉に変わります。毎日通って本を読んでいたレストランのタイ人店員さん4名が年が近いとおもって話しかけてくれたのです。手紙をくれたり、話しかけてくれたり。ローカルの屋台に連れて行ってくれたり、タイを嫌いにならないで!ととてもよくしてくれました。

そのうちの一人の女の子とは年齢が同じだったこともあり、旅が終わってからも3年ほど文通を続けました。彼女は私の恩人です。彼女のおかげでタイ人のやさしさやあたたかさを身をもって感じることができました。

当時アメリカに留学していた私。人生で初めてアジア人だからという理由で差別を受ける経験をしたあとだったので、同じアジア人で年も近い彼女からたくさん親切にしてもらい、友人として受け入れてもらえたおかげでタイが大好きになりました。

出会ってから3年ほどして彼女は田舎のムクダハン県に帰ってからは手紙だけでなかなか会えなくなってしまいましたが、彼女のおかげでタイが大好きになり、その数年後私はタイに移住することになり、10年もの間タイで仕事をさせてもらいました。

◆ 終わり良ければ総て良し ◆

トラブルはいろいろ起きますが、まわりまわって最後は最高にラッキーな結果をもらえる私。全て起きる出来事には意味があるんだと感じるタイとの出会いでした。それにしても、途中から名探偵コナンだな・・・なんて思いながら結構楽しんでいた私。タフなのか、あほなのか、Mなのか・・・。


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タイで現地採用として仕事をすること、女性として海外でキャリアを積むこと、タイにいる間に恋愛も結婚も離婚もしたので特に女性には共感してもらえたり参考にしてもらえることがあると思います!

タイで過ごした10年以上の生活の様子、出会い、思い出などを書いていきます。タイで仕事をすること、人生のこと、学びなどの振り返り(有料設定に…

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