つれづれ

今年は幸運にも異動(担当業務の変更含め)がなかったので、休みを好きなように使えることになった。新年度の忙しさも目処がついてきて、引き継ぎの二重生活もないものだから、二年ぶりくらいにようやく仕事漬けの日々と不安感から離れることができ、体調もそれに伴って上向いてきている。たまに食道の違和感はあるが、週末ずっと寝ていたいような具合の悪さは解消された。
最近思うのは、行く末を考える範囲を広げすぎていて、どうなるのかと恐れていたことは杞憂の部分も大きかったということだった。私は基本姿勢として人をあまり信用していないし、膨大な先読みをしてはたくさんの最悪な可能性に窒息しがちなようだ。心配していたことは何も起こらなかった、という実績をちゃんと積まないと、いろんな可能性に不安を溜め込んでしまうのだと思う。一連の体調不良はそんなふうに溜め込んで解消できなかった不安感によるもので、とりあえず時が過ぎても生き延びていたこと、辿ったのは膨大な可能性の岐路のうちの一つだけだったと理解したことで、やっと安心できたのだろう。
それで、今年の連休は、気の向くままに放浪の旅をしている。海岸や渓流沿いを走って、季節と景色の移り変わりを感じているところだ。田舎道を走っているためか、幸運にも渋滞や事故などには出くわしていない。このまま何事もなく帰路につきたい。

4月、なんとなく思い立ってポットの花苗を何種類か買ってみた。すでに花は咲いていて、次々咲くように手入れするようなタイプのものだ。植木鉢に仕立て直して、日の当たるところに置いている。水やりに加えて追肥や切り戻しなんかも必要だし、放ったらかし魔な私にとっては花は高度すぎる生物にも思えたが、花を見ていると元気な感じがするのはとても魅力的だった。
先日、少し家をあけたら、帰ってきたときに花はくたっとなってしまった。慌てて水をやったら復活したのだが、あぁ、こういうところが花が好かれるところなのかなと理解した。関心を向けて手入れをすればリアクションがある。反応がわかりやすく、とても生き物っぽさを感じる。水が好きで、思い出した頃に水をやっているようなペースでは足りないのだと知った。
今回はだいぶ家をあけているので、さてどうなっているか。鉢をいっそ連れて来ようかとも思ったが、悩んだ末に、給水できるようにだけなんとかして置いてきた。帰ったらよく見てやろうと思う。帰れば待っているものがいて、こうして自分以外のために何かしようと思えることも、悪くないものだと思う。

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