障子紙の憂鬱

事務局の一斉人事異動は、障子の貼り替えみたいだと思う。

4月1日にがらっと真新しい姿に生まれ変わるために、今の状態を、外し、破り、引き裂き、ちぎり、濡らし、はがし、散らかし、そういった惨状を経て、殆どを捨て、新しい人員体制を大きく貼りつける。

大事なのは枠とそこに均一に美しく貼ることであって、業務の継続性や個人の事情や納得感、過去の積み重ねのような、貼り付けられる側のことはほとんど考慮されない。
経年して浮き出た模様や刻まれた文字などは、シミや汚れとしての意味しかない。
まっさらで、均一で、シワもなく、とにかく無垢であることが正義。

今年もまた、急に障子破りが始まって、そうやって混乱を招きながらちぎりちぎられて価値のないものとして打ち捨てられ、きれいに一新される季節がやってきた。

すべては、4月1日に何食わぬ顔で新しい障子を開け閉めするために。

この時期は本当に憂鬱。
リセットと断絶がはなはだしく、繁忙が加わって混沌とし、疲弊する。いつも無茶な動かし方をしている。
これにはみんなほとほと嫌気がさしている。
ただひたすら、先生や学生に迷惑をかけないようにという一心で、踏ん張り、身を削って、ちぎれてボロボロになって、無理をして、貼り替わる。
こんなに犠牲を払うだけの意味があるんだろうかといつも思う。せめて時期をずらせよと思う。いつも抹消される声だけど。


ほんとうはみんなで一つのきれいなちぎり絵に生まれたかった。

しかし人事制度は人に障子紙のような同一性を要求するから、適材適所なんて、夢物語だ。

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