モノローグ台本『口紅』
『口紅』本文
作:渋谷悠 原案:tori
(三脚に乗ったスマホがある。その前で男が化粧道具を広げている。)
(娘に)いいぞ、始めてくれ。
(娘、吹き出す)…何を笑ってるんだ、お前のアイディアじゃないか。
ほら、録画してくれ。
(録画が始まる)あー、優子。俺だ。帰ってきたら奈央は泣いてるわ、お前はいないわで、まだ驚きが抜け切らない。お前がどうしてそう思ってしまったのか、分からないでもないが、何の確認もせずに実家に帰るなんて早合点もいいところだ…とにかく、何から何まで勘違いだ。
今から、身の潔白を証明しようと思う。
お前が見つけたというこの口紅はだな、これはお前が疑っているような物ではなくて…いやそもそも俺の鞄の中を漁るという行為はどうなんだ、あまり感心しないぞ(娘に話を戻され)…ん?ああ、そうだな。
(スマホに向き直り)この口紅は、つまりその、その、俺のなんだ。
(男、化粧を始める。)
本当なら1時間くらいかけたいところなんだが、まあ今回は軽めにな。
使い方を知ってることが、優子に伝わればいいんだ。
お前が一番知ってると思うが、俺には趣味と呼べるものが無くてな。
でもこれは、のめり込むほどに奥の深さがあって、なるほど化粧とはちょっとの力加減でこんなに印象が変わるのかと…服を選んだり、宝石を選んだり、こんな大変なことを毎日やっているのかと、理解が生まれてくるわけだ。
女性の靴のあの痛さ。なるほど道理で歩くのが遅い。
駅の中でお前が遅れてもイライラしなくなる。
ヒールを履いた次の日なんか筋肉痛になる。
「あなたプレゼントが上手になったわね」って言われるようになったのも、センスを磨いて、自分だったら何が嬉しいかなと、そういう視点で真剣に選んでいるからだ。浮気を隠すためのご機嫌取りに思われるなんて心外だ。
(娘に説明を促され)ん?わざわざ言葉にしなくてもさすがに分かるだろう。…そうかぁ?(しぶしぶスマホに)だからその、アレだ、趣味というのは、あー、女装だ。ハマってるんだ、女装に。
(娘に)お前言わせたかっただけだろう!?
大体な、お前も口紅を塗るようになったが、色の選び方を根本的に間違えている。お前の肌はお母さんに似てイエローベースなんだから、青みピンクの口紅だと顔色が悪く見える。色が馴染まないから縦じわに目が行く。
まずは己を知ることから始めるんだ。
少しオレンジ寄りのコーラルピンクが似合うんじゃないか?ユリイカの新作、ビューティフル・フィロソフィー・シリーズ、BP701が合うと思うんだよ。今度、買ってくるから試してみなさい。
(口紅を塗りながら)優子、俺が初めてこんなことをした時、実は、ホッとしたんだ。誰の上司でもない、夫でもない、父親でもない、何の責任も無い自分が、鏡に映っていたんだ。
(完成した顔をスマホに向けて)俺はこれから、もっと優しくなれる。
こんな顔で言われても気持ち悪いかも知れないが、帰ってきて欲しい。頼む。
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