モノローグ台本『共食い』
『共食い』本文
作:渋谷悠 原案:森下紀夫
(男、落ち着いた店にいる。)
…そうかぁ、安心したよ、鈴木君。
いやね、こう改まって相談したいことがあるんですって言われる時は、辞めたいって話か、宗教の勧誘か、結婚の報告か、大体この3つのどれかなんだよ。結婚の話で良かった。
一昨日君がやってくれた新規事業のプレゼン、あれが上の方にも好評でね、辞めたいって話だったらどうしようかと内心ヒヤヒヤしてたんだ。
鈴木君みたいな出来る人ほどね、ストレスを溜めやすいからね。
うーん、結婚の秘訣ねぇ…。
いい夫婦に見えると言ってもらえるのは、悪い気はしないんだがね、実際のところは分からないものだよ。
人の目がある時の振る舞いなんてね、所詮はね…。
2人だけになった時、夫婦の…本質が問われるんじゃないかな。
秘訣ねぇ、むしろ教えて欲しいくらいだよ。
1つ言えることは、何しろ長丁場だから、秘訣らしきものが1つでも見つかったら儲けもん。それぐらいの心構えが良いんじゃないかな。
私はグッピーを飼ってるんだ。知ってるかい?そう、熱帯魚だ。
ゴルフはやめてしまったし、もう趣味といえば、彼らの、扇状の尻尾を眺めることくらいなんだ。
ちょっとした動きで、キラキラと、はためくって言うのかな、綺麗なんだ。
先週、私は出張に行っただろう?例の、横軸でもっとコミュニケーションを取っていこうという上からの…。
まあ結局いつもの店舗巡回と変わらなかったけどね。
その間、妻にグッピーの世話をお願いしたんだ。
ああ見えて活発な魚でね、思ったより餌を食べる。これぐらいの量を、これぐらいの頻度で、と要点はメモにも書いて、出かけた。
本当は水槽の水を4分の1ほど替えて欲しくて、喉まで出かかったんだが、それは私が帰って来てからでも間に合うと思って、言わなかった。
帰って来たらね、鈴木君、1匹しか残っていなかったんだ。
12匹いたのがね、1匹しか残っていない。
何でだと思う?……共食いだよ。
私はすぐに全てを理解した。妻は、餌をやらなかった。
腹を空かしたグッピーたちはお互いを食べるしかなかった。
何が虚しかったってね、妻が餌をやらなかったことじゃなくて、それが原因だとすぐに分かってしまったことだよ。
ぼうっと水槽を見ながら、ああこれは、私たちの結婚そのものだと思ったね。
私たち夫婦は、この水槽で起きたことを、じわじわ時間をかけて、お互いにやってきたんだよ。与えるべきものを与えないから、どちらかが残るまでお互いを食べるんだ。
どうだい?結婚したくてたまらなくなってきただろう?
私が分からないのはね、最後まで残った方が勝者なのか敗者なのかということなんだよ。1匹になったグッピーは、寂しそうに見える時もあれば、水槽を独り占めして気持ち良さそうに見える時もある。
(笑って)まさか、鈴木君。
このことについて、妻とは一言も話していないよ。
向こうもね、私が聞いてこないことくらい分かってるんだ。
これがね、私たち夫婦にとって、信頼に最も近い、繫がりなんだよ。
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