モノローグ台本『夜の初めの数分間』
『夜の初めの数分間』
作:渋谷悠
ある日、鏡に人が映らなくなった。
それはまるで、鏡の向こうに世界があって、そこの住人たちが一斉に行方不明になってしまったかのようだった。
気が付けば、レンズや窓や水といった、鏡の親戚にも、人が映らなくなっていた。
このようにして突如、人は自らの姿を見る方法を失ってしまった。
化粧品の売れ行きは落ち、見た目に関してとやかく助言する雑誌の多くが廃刊した。
精神安定剤の需要も減り、若者の自殺率は下がっていった。
反射がなくなったわけではなく、人だけが映らない。
科学者たちは原因を突き止めようと日夜研究を重ねた。
哲学者たちは存在の新しい定義について議論を交わした。
宗教者たちは世界の終わりが近いと声を荒げた。
そして政治家たちは…特に何もしなかった。
いずれにしろ、みんな次第に慣れていった。
最初は、交通事故が頻繁に起きたが、見通しの悪い角などにあった鏡の代わりに、人が立つようになり、雇用が増えた。
これをきっかけに、鏡の代わりを担う仕事が世の中に生まれていった。
写真に人が映らないので、画家たちは毎日せっせと誰かの肖像画を描いた。
道端で似顔絵を描く方が、医者や弁護士よりも儲かる時代が訪れた。
肖像画がありふれると、今度は詩人たちの番だった。
自分の顔を、絵ではなく言葉にして欲しいと言う人々が現れたのだ。
言葉にならないことを言葉にしてきた詩人たちは、絵具を選ぶように辞書を引き、色を混ぜるように類語辞典を開いた。
それはいつの間にか「言葉の肖像画」と呼ばれた。
有名な作品はオークションで取引されたり、美術館から盗まれたりした。
盗難にあった最も有名な言葉の肖像画は、とある国の王女を描いたものだった。
「ダイヤより硬く、無意識より黒い憎しみが、あなたの眉間に渦巻いている。
私がこの両目を潰しても、その闇を貫いて、永遠に映り続けるだろう」
時は流れ、人が鏡に映らないことが歴史の教科書に載り、鏡という言葉は、画家や詩人を指すようになった。自分の姿をいつでも確認できたという老人たちの話を、若い世代は笑い飛ばした。
そんなある日、なんの前触れもなく、瞳にだけ、人が映るようになった。
陽が沈んだ後の数分間だけ、瞳に人が映るようになった。
陽が沈むと、人は立ち止まってお互いの目を覗き込むようになった。
他人同士でも、暗黙の了解が生まれ、お互いの目の中に自分の姿を見つけた。
その数分間は静かで、地球も気を使って自転を止めているかのようだった。
人が人を見つめるようになると、犯罪が減り、戦争すらなくなりそうな気配があった。
私たちは今、夜の初めのその数分間を、よすがに生きている。
使用許可について
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劇作家・映画監督:渋谷悠とは?
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