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要介護5の血縁関係のない利用者さんのじいちゃんとルームシェアをした1年間

このnoteは、介護業界1年目の24歳の僕(理学療法士)が、ある団地の一室で血縁関係のない83歳Sさん(アルツハイマー型認知症、要介護度5のおじいさん)とルームシェアをしていた1年間の話を書いたものです。

Sさんは2022年の3月19日に息を引き取られました。最期は、声をかけたら今にも起きそうなほど穏やかな顔をされていました。
Sさんが亡くなられたことで、ルームシェア生活は終了しました。

人の暮らしを支えるのは理学療法だけじゃない。
”共に暮らす”ことで、学ばせて頂くことが沢山ありました。

きっかけ

僕がSさんと出会ったきっかけは、現在僕が勤めている株式会社ぐるんとびーです。Sさんは、数年前からぐるんとびーの介護サービス(小規模多機能居宅介護施設)の利用者さんでした。

僕はぐるんとびーに入職するタイミングでSさんのケアマネージャーさんに「Sさんとルームシェアしないか?」というお話をいただきました。当時、何度も奥さんと一緒に暮らすことを試みるも、Sさんは認知機能が低下していることもあり、ご家族と一緒に暮らすことが難しい状況でした。

2021年3月に僕、Sさんの奥さん、娘さんと一緒に不動産屋にて契約をし、Sさんとのルームシェアが始まりました。

ぐるんとびーのある団地にある、2世帯住宅用の1室を借りました。なんと、ぐるんとびーの小規模多機能から10秒で着く距離です。ぐるんとびーが6階、僕たちの家は8階でした。

この時、認知症の方と、ましてや家族ではない方と共に暮らしたことのない自分には、どんな暮らしになっていくのか全く想像がつかなかったです。

日常

朝9期半ごろお部屋に伺い、着替え、排泄、掃除、朝食準備からスタートです。おしっこをトイレですることができず、床が濡れていることがよくありました。ベッドではなく、床で眠っていることもよくありました。僕や他スタッフが入室しお手伝いをさせて頂きます。その後に、昔からSさんにとっての朝食であるホットミルク、チーズトースト、サラダを食べます。この時、僕も一緒に朝ごはんを食べながら雑談をよくしました。
仕事の相談をすると、すごく的確にアドバイスをくれるんです。僕はこの朝食の時間が大好きでした。

お昼が近づくと、6階にあるぐるんとびーへ。ぐるんとびースタッフ、他の利用者さんとお話をしたり、昼食を作る手伝いをしてもらったり、何十年もされていたコーラスを披露してもらったりと自由気ままに過ごされます。
時には、大好きなお寿司を一緒に食べに行き、乾杯もしました。

17時ごろになると、晩御飯、寝る準備をします。晩御飯を食べ終わったら、夜用パンツとパジャマに着替えベッドへ。朝起きてから、料理作ったり、歌ったり、みんなと会話しているので自然と眠くなり、ぐっすりです。
たまに夜中に歌声が聞こえてくる時もありました。笑

Sさんとルームシェアをしている話をすると、多くの方から「よくできるね。大変じゃない?」「若いのにすごいね。なんでやってるの?」と聞かれます。僕にとっては大変でもないし、すごいことでもなかったです。むしろとても楽しく充実した日々でした。もちろん想像もつかないような事が何度か起きましたが、それも楽しめるくらい良い日々でした。

介護業界にいると”共に暮らす”や”地域共生社会”という言葉をよく耳にします。この”地域共生社会”は、人と人が繋がり、良いときも悪いときも、互いに認め合って困った時は支え合って生きていこうよ。という意味だと捉えています。

僕は文字通り、Sさんと”共に生きる”ということをさせて頂きました。それを通じ、共に生きるということは、楽しいときも嬉しいときも、苦しいときも辛いときも時間を共有することだと学びました。

僕は友達が家に遊びに来たら、必ずSさんを紹介しています。すると友達から「最近おじいちゃん元気?」「次遊びに行く時、好きなお菓子持っていくね」「一緒に朝ごはん食べようよ!」なんて言葉をもらいました。Sさんもそれを楽しんでくれて。ルームシェアをしていることで、Sさんと社会とが繋がるきっかけになっていたのだと思います。

要介護になった途端、家族やヘルパー・医療者としか出会わなくなるのは、どうなんだろう。新しい人と出会い、繋がり、関係性の中で生きていくと言うのが、人らしい暮らしなんじゃないかなと思う。
ちなみに、彼女ができたときに紹介したら、バンザイをして喜んでくれました。笑

こんなエピソードもありました。
夜12時頃、僕が飲み会から酔っ払って帰ってくると、家の中に便臭が漂っていることが。(便意尿意がわからない程の認知機能でした)Sさんの部屋からは、何か音が聞こえてくる。こりゃ、困ってるだろうなぁと思い部屋に入ると、Sさんは全身便まみれで混乱中。全身を綺麗に拭いて、整えると落ち着かれて「あーこれでゆっくり寝られる、おやすみ」とおっしゃって、ぐっすり眠られました。スッキリした状態で休めてよかったな〜、なんて思いながら僕もシャワーを浴びて寝ました。
この話をTwitterに書いたところ「それは業務なんですか?」「会社が社員を奴隷のように扱ってる!」「洗脳されている!」「酔っ払って介助してなんかあったらどうするんだ!」とプチ炎上しました。笑

学んだこと

このことから学ばせてもらった事があります。それは、関係性の大切さです。批判的な声の中にはおっしゃる通りだなと思う意見もありましたが、僕にとっては「ルームメイトが困ってたら助ける」という感覚で。利用者さんとスタッフという関係性もありますが、それ以上に同じ家に住む人として関わることが大切だと感じました。

介護を受けるようになった途端、介護される側とする側の関係性しか生まれなくなることに違和感を感じています。自分に介護が必要になったら、その関係性はなんだか寂しく感じます。介護がどうこうよりも、大前提、高齢者の方は人生の大先輩で、人と人との関係性があることを忘れないことが大切だと強く感じます。

今回、記したのは本当に一部で。一年を通して、いろんな事がありました。
一つ一つの出来事を”共に”過ごしてきました。
初詣に行ったこと、懐かしの長野県歌を歌ったこと、散歩したこと、マクドナルドを食べたこと、ビールで乾杯したこと、なんだかわからず怒ったこと、嬉しくて泣いたこと、天気が良くて喜んだこと。

皆さんの支えがあり、2人で沢山の経験させてもらいました。共に時間を過ごせば過ごすほど、利用者さんとスタッフという関係ではなく、友達のような仲間のような、言葉では言い表されない、2人だけの関係性を築いていったのだと思います。Sさんにとってどうだったか分からないけど、僕にとってとてもとても大切な時間でした。


看取り

2022年3月19日早朝、Sさんは亡くなりました。あまりにも突然で、、、約1年のルームシェア生活は終わりを迎えました。17日に容体が変化し、救急搬送。それから隣の部屋にはSさんはいない。この一年でSさんが部屋を空けることはなかった。当たり前が当たり前じゃなくなったとき、心にポッカリ穴が空いた感覚があり、僕にとってSさんの存在がとても大きなものだったことに気づきました。

これまで何度か生死をさまよってきたSさん。でも、その度になんだかんだ復活して、いつも通りさいっこうな笑顔を見せてくれていたから「また帰ってくるだろう」と心の中で思っていたんだよなぁ。
19日当日、僕は朝早くから出かけていたため、Sさんが亡くなったことを電話で聞きました。その瞬間に頭が真っ白に。どうしたら良いかわからず、ただただ涙が流れ落ちていきました。なぜ涙が出てくるのかもわからない。言葉にすることもできない。ただ、こんなに苦しいことがあるのか、と言うほど悲しさを感じていました。急いで外出先から戻って、ぐるんとびーへ。
その時もまだ言葉が出てこず、涙が出るばかりの僕を前に、ぐるんとびーの仲間が話を聞いてくれて。ぽつりぽつりと言葉が出せるように。

「もっと一緒に遊びたかった」「もっと友達を紹介したかった」「もっと色んな所に行きたかった」という後悔に近い感情。
「会いたくてももう会えない」「隣の部屋からSさんの歌声が聞こえてくることはないのか」「ただいまーって帰っても一人か」という寂しい感情。
「Sさんと出逢えて嬉しかった」「沢山の笑顔を見せてくれて良かった」「本当にありがとうございました」という感謝の想いも湧いてきました。

今、食べたいものを食べ、今、やりたいことをする。毎日、後悔しないように今を大事にしてSさんと過ごしてきた。それでも後悔はするし、寂しいって感じることを知った。でも最後に湧き上がってきたのは”感謝”でした。

Sさんが亡くなって感じたことを、一つずつ言葉にしていく。そうすることで、自分の感情と、大好きな人の死を受け入れていくことができました。死は怖いものや悲しいものではなく、暖かい感謝を感じることができるものなんだと知りました。

その後ご家族の計らいで、眠ったようなお顔をして起きることのないSさんとお逢いすることができました。今にも「おはよー」と、いつも通り起きてきそうな穏やかな表情。顔に触れると、確かに冷たく、呼びかけても起きません。もう一緒に朝ごはんを食べながら雑談できないのか、、、と思うと、あぁ、本当に亡くなられたんだと実感が湧いてきました。

「人はいつ死ぬかわからない」

Sさんと出会えたからこそ、教えてもらった、感じることができた感情がいくつもあります。僕はSさんのことがとても大好きで、僕にとって特別な存在です。僕の中に一生残っていく存在です、一生忘れません。
”共に”過ごすことで誰かの人生の一部となり、その生き方を繋いでいくことで、ずっと人の心に生き続けるんだなぁと深く深く感じました。僕の中では、Sさんは生き続けています。
この1年間、Sさんの生き方を間近で感じさせていただき、僕も”人の心に残るような生き方をする”と心に決めました。

最後に

”人を笑顔にできる人でありたい。”

その想いは、僕が理学療法士を目指したいと思ったきっかけです。

Sさんの最期の一年は、Sさんにとって良い時間だったのかな。笑顔で暮らすことができたかな。
「共に暮らしていくこと」に、正解なんてないんだろうけど、一緒に笑い合った日々は僕にとって宝物です。

Sさんとルームシェアをさせて頂き感謝しています。
Sさんのご家族、ぐるんとびーの仲間の理解・協力があったからこそ、かけがえのない時間を過ごさせて頂きました。

アルツハイマー型認知症、要介護5。血縁関係もない、ぐるんとびーの利用者さんだったから始まった1年間のルームシェア。

Sさんとの1年間から、多くのことを学びました。
”共に暮らす”という在り方は、まだ珍しいことかもしれないです。仕事とプライベートの境界線も曖昧でした。だからこそSさんとできた、関係性があると思います。

病気になってもどんな状態になっても、介護が必要になっても、手段にとらわれず、目の前の人と共に豊かな暮らしを送る。こんな暮らし方もある。

利用者さん、介護スタッフ、介護するされるだけの関係性じゃない。
人と人として共に過ごさせてもらった、かけがえのない時間を大切に。
この経験を、これから出会う人たちに繋いでいくことが、僕の使命だと思っています。

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ここまで読んでくれたみなさん、本当にありがとうございました。
活動の様子や、普段考えていることはTwitterやInstagramを中心に発信しています。
また、僕やぐるんとびーに興味を持ってくださった人がもしいたら、DMください!話しましょう!

この暮らしを支えてくださったご家族、ぐるんとびーの他スタッフ、医療福祉関係者の皆様のご協力があってこその暮らしでした。
本当に、本当に、ありがとうございました。

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