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史実というか、伝記②


そして一行は徐々に生気を取り戻し、祖母は捕虜として食料係に従事し、祖父も軍の内部で働いた。子供達も皆んな無事だった。
いわば普通の生活が出来ていた。
その時日本の劣勢を知らされる。

祖母は
「こんな事なら皆んな。。」




そして少しの時を経て敗北する。

日本は敗戦国となり捕虜は解放されその後GHQの支配下に置かれる。家族や親族は八丈島へ戻される事になった。
いや、戻されるというより両祖父母は八丈島へ戻ってきた。

その当時、果ての楽園と呼ばれ、行けば幸せになれると言われていたブラジルに祖母の姉は行く事を決め、祖母も当然誘われたが別れて八丈島に帰る決断をした。


八丈島に帰ってから祖母は自分の父と叔父を産んだ。五男と六男。何とも昔の話らしく大家族だ。

祖父は相変わらず色んな事業をして海水から塩作りをしたりサイパンで人気だった煎餅をやったり、そしてパン。

その後の土台となるパンが登場した。

何を情報に始めたか全く分からないが、祖母曰く「何でもやる人」
だったらしい。

その後、家業に感化された父は高校を定時制で通い仕事しながら東京の日本菓子専門学校に通う。

しかし、破天荒が災いしてか父が19歳の頃祖父は亡くなった。そのまま専門学校を中退し父は2代目となり家業を独学で盛り上げて行った。

おばあちゃんはその様をそばでずっと見続けてとても誇らしげであるという話がその本にあった。
自分のことでは無いが何故かとても自分も誇らしげに思えた。





かのアントニオ猪木もそうだったように、1ヶ月以上の船旅をして地球の真裏に着いた大叔母さんがどうなったかは分からない。
ただ自分が中学一年生の頃、彼女の息子がブラジルから八丈島まで会いにきた。
その時のおばあちゃんは嬉しいけど複雑そうな顔してたな。


自分の幼心におばあちゃんはかなり戦争の話を嫌っていた。トラウマなんだろう。
自由研究のテーマとして持って行ったとき断られた記憶がある。

それもそのはず。内容は映画や小説のようであり生死をかけた決断、死んでいった仲間、必死で抗った事、思い出したくない事ばかりだっただろう。 本を読んで、自分が子供だったとはいえ無神経さに涙が出そうだったが、今はその全てを咀嚼出来る。

でも不思議だったのが何故頑なに戦争の話をしなかったおばあちゃんがこんな本を残した?

その質問に父は
「この戦争の体験は必ず後世に残して伝えていかなければいけない。絶対に。」
と言った。

ふと思えば確かに自分の知らない女性がよくおばあちゃんと家で話をしていた。 その女性は実は父の知り合いのライターさんで頼み込んで週一回くらいのペースで通ってくれていた。
人見知りなおばあちゃんは当然のようになかなか話はしなかったようで、心を開いて本が出来るまでに一年以上かかったらしい。

自費出版で時間を費やして完遂した父にもライターさんにも祖母にも大感謝。
これは史実であり伝記。
伝記は偉人伝の様なものかもしれないが俺にとってこれは家宝で伝記。
教科書には載らない生々しい記述に当時は目を背けた事もあったが、大戦になるかもしれない今のタイミングで自分の家の家宝である伝記をnoteに綴る想いになった。
そして文字通りこれを伝えていかなければいけない。

戦争は憎しみが憎しみを呼ぶ。そして憎しみを生み出す。 負の連鎖どころではない。滅の連鎖。
平和ボケと何と言われようが日本人から出来る発信はあるはず。

いつの時代も戦争は情報戦になり、真実は代えられる。
クリミアはそうして取られている。

対岸の火事では無い。
絶対戦争を止めよう

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