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愛情という名の命への対価

愛情という名の命への対価

少女と出会ったのは2016年秋のシアトル。
両親は数億円にも登る多額の募金を集めて渡航し、ドナーを募り困難な臓器移植を成し遂げた。

これだけでも何十万、何百万という人が関わっているのがわかる。

俺が出会ったのはその後だった。もちろん募金もしていない。

両親は自分と同い年。 同時に生まれた双子の姉を幼くして失った父親の彼の最初の言葉が突き刺さった。
「自分にも残された人生があるからそれは後悔しないように生きなければならない」

覚悟のある言葉だ。

好きな事を好きなように自由にして来た(今も)自分には目から鱗なんてないに決まってるんだけど睫毛さえも全部落ちそうな気分になった事が忘れられない。

臓器移植に関しては、日本で簡単には行われない現実があり歴史がある。
秩序があって矛盾がある。
命に対価なんて有り得るはずがないし、失ったものは戻らない。

小学生の頃、本当に近い従兄弟の兄ちゃんの死を目の当たりにした。その時にマンガやゲームで錯覚してた死と現実の矛盾に葛藤し、
「ザオリクもザオラルもレイズも唱えられない」って本当に思い、家族、親族の深い悲しみに毎日辛い日々が続いていた。

しかもそれは今も続いている。

忘れられない出来事の1つとしてあり、その幼心に俺は初めて人が死ぬって事がどういう事かを知った。その時に知らなくても良い事だったからかもしれない。

正直、臓器移植のテーマは身近ではない。
歩み寄れる距離感が掴めないから。

救う会等色んな団体による多額の募金、運営、その後の流れ。
多くの金が絡めば誹謗中傷は簡単な世の中だ。

少女の父は若くして臓器移植に携わるトリオジャパンの会長に就任した。

娘の命は助かった。でも同じ拡張型心筋症で双子の姉を亡くしているのだ。

心無い声を浴びることもあるかもしれないし、当事者、経験者としても関わらないで終わって行く人もいる。その中で正義感だけでは続けられないと思う。
でも会長は言った。
「もうこれは運命なんだよ」
笑顔でね。

仕事は別で医者でもないのにこれからの人を助ける事に尽力している。
日本の移植医療の現状を変えるには医師やメディアの力など様々な要因が必要。

俺は一家の術後の経過やその後に起きたトラブルに彼らが憂慮したり、感謝したり、その重みに時に憤慨してたのを見てた。
そんな状況なのに、こっちの仕事の応援もしてくれた。
忘れられない事ばっかりだ。
俺がそんな友達を応援するのはもちろん自由なんだけど、言葉を借りるならもうそれも運命でしかない。

今回のイベントで会長から協力してほしいと頼まれた。
堅っ苦しくないイベントにしたい。来てくれるみんなを笑顔にしたい。

そんなテーマを聞いて即答でOKした。
食に関して免疫抑制剤を服用していてもどういうものが食べれるのか、深く考えるきっかけになった。
何より自分の仕事は人を笑顔にするものだと信じている。

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誰かがそうなってからではなく、それからの関心は遅いと、これからの医療を深く考えるきっかけになった。
国内で出来る医療と、患者とドナーになる人の関心が深まればいい。

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国内での臓器移植に難がある事、これからどうしていけばいいか。
トリオジャパンに聞いてほしい。

#移植医療 #医療 #トリオジャパン #ボランティア

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