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秘する女神のコラージュ〈6 秘する水鏡に降り頻る〉


 私達の建物は私達の努力によって自壊している、丸で一つの主題が展開によって逆転する様に、然し、回転しない旋律を私達は求めているだろうか、永遠を求めている時、其は永遠の終わりすら求めている。私達は何時安定したのだろう、此の、常に不定たる循環を内包した波の、何処に平面を求めるのだ。だから今日、此の世は終わりつつ在り、昨日から世界は目覚め始めていて、此処は始まりと終わりの交差点なのだ。雨は降り、水面には無数の波が立つ、だが其の内のどれを今と呼び、どれを私と呼ぶのだろう、耳を澄ませば、此の〈想起=オルガン〉には数え切れない声が含まれている。今、此の時に在る私の顔を隠す事が出来る現在、今此処に在る顔は現実として隠し切れないイマージュの非現前性、其の様に仮象として在る〈現在∧現実〉に私は思い出す前から化粧をしている。つまり、今と云う瞬間は此の上無く〈此性〉を有している秘密に他ならない。裸で在る恥じらいは今に限定されている、其に対する自由性とは、如何なる視線性からも自由では無い事なのだろうか。
 彼女は雨音を聞きながらメモ帳に向かい書き物をしている、彼女が其を詩と云った時、其は詩になり、彼女が其を物語と云った時、其は物語になるだろう、だが、彼女は其の文を何者で在るとも云わず、書き続け秘している。
《私と云う時の自由さとは、私らしさとは、今此処に在る私を秘する〈此性〉である。時はバズタブに張られた水面で、其は必ず流れ去る、意識とは排水溝で、螺旋的に流れ込むものだ、私の声だ。私は水面が枯れる事を恐れるだろうか、流れ去る水が凡て流れ去る事を恐れるだろうか、渦を失う事を恐れているのだろうか、だが、此の流れる水面は一つしかない》
 其の建物が建てられた物なのか、外部からは判らない、其は或る建物に継ぎ接ぎの如く増築をしていった様な、致命的に行き当たりばったりで無計画な、印象を与える。中央には庭が在り、其の周りに回廊の如きものが在る、庭を囲む様に建物が建てられ崩れ去った跡なのだろう、そして、其の回廊を囲む様に建物が並び、教会とモスクが、庭を挟んで、向かい合って建てられている。回廊に沿う様にアパートメントが在り、其等は書斎や資料室、作業室として使われていたらしい。モスクと教会を乗せている円状の街並にはレンガ造りの建物が幾つも折り重なっていて、其の屋内は激しい雨漏りの為に水浸しである。建物と建物の間は隙間が見られない、在ったとしても夥しい階段で埋められている。中庭から這い上がる植物は丸で疫病の様に建物の間に褥を降ろし外へ向かって伸びていた。其等は何もかも繋がっていて、凡てが廃墟と化している為に分離して注視する事が出来ない、そして、其等は常に内部へ向かい増築されている。唯、どの建物に居ても、オルガンの音色は聴こえて来ていて、其等建物は一つの楽器の様にも見える。遠くに見える原子力発電所は少しずつ姿を変えながら、迫って来る様に見えた。
 穏やかな日陰の部屋から雨の部屋へと旋律は這い回る、其の屋内の父と母、其の子供と云うもの在るとしたら、子は父を含んでいるのかも知れない、或いは、母は子を含み、子は母を含み増築されているのかも知れない。そして、〈想起=オルガン〉は見付からない、彼女は思った。
 彼女は建物から建物へと移動していた、其の埋め尽くされない感覚は彼女に快楽を与えて、震えさせる。雨は建物を叩いている。彼女はモスクの見える一室から空を眺めた。
 《君と云う意識の内に、私と云う外は在り、君と云う家の外に私と云う内部は在る。私から見えるのは君だけだ、そして、此の声を君は除外しない。君は丸で、地下都市を捜している様に、水源を作る様に、此の垂れ流される言葉の渦で増築している、地下に空間が在れば其を反射的に部屋と認識する様に、私達は分裂するエロスだ》《貴女は〈現在∧現実〉と云う時のコラージュに、次々と化粧を重ね、最早、オリジナルの現在、オリジナルの現実を失っています。ですが、其のオリジナルを無視して進むやり方を、最初から気に入っている様に、貴女は此の連鎖する模倣的やり方を捨てません。其処には二つ以上の動力が無ければなりません》《私は何の為に生き、何の為に建てられ、呼吸を続けるのだろう》新しい声は云い、時は混ざり始めた。《或いは、其の様に問う建物、其の様に問う役割、仮面なのだろうか。目に入るキラキラは音を吐き出し続けていて、吐き出された音はモノリスを降らせている》
 降り頻るモノリスを食べる耳、其の空洞を埋める様に増築は繰り返される、此の頬杖の傾きから老いる時を失わせる事が出来ない様に。目覚めの為の眠りでは無い、眠りの為に目覚めなのだから。繰り返すブクブク、今、私は死に至っている生だ。私達は自由に奏でなければならない、楽器を使いこなさなければならない、此は義務では無く欲望である、此の〈想起=オルガン〉に降る、苦痛と快楽、其等は私を動かしている、寧ろ、何の目的も無く、私達は動いている。
 《或いは、動かされている》《だが、私は主体的と云い切れるだろうか、此の降り頻る雨の中奏でられているリズム、此等偶発的鼓動、囀る風が、何者にとっての主体性なのだろう》
 此の受動性の中の僅かな能動性、其が私の即興へ向けて混ざって行く、そして、混ざり合っている波はやはり偶発的スヤスヤで、私も何者かへ向かう波だ。彼女は《私達は》母の〈鏡ガエシ〉に付いて、何処で知ったのだろうか、母が〈鏡ガエリ〉した時其等凡てを見知っていた訳では無い、母の有無を自らの同一性として拒む何かを見知っていた訳では無い、〈現在∧現実〉は常に誤差を降らせている。
 《其は激しい雨だった、慌ただしい足音だった、日常は砕けて、誰もかれもが何をすれば良いのか判らない様な様子だった》《普段、彼等は何をどうするべきか、知っている振りをしていて、何もかもが、決まり事であるかに振舞っています。ですが、今は何もかもを知らない様子を見せています》《クソ、どうしてこうなる。何でこんな事に。此のモニュメント、此のセレモニーに花束を》《降り頻るモノリスは増築しているチェルノブイリ、此の決別に赤薔薇を。此の禁忌を踏み荒らせ、花を蹴散らし、草木を刈り取れ、沢山の墓を建ててやる、沢山のビルを建ててやる、此の離別、分割に白薔薇を》《彼等は嘆いている、君を嘆いているのではない、自らを嘆いているのだ、理不尽な状況を作った君を責める事で平静を保っているのだ》《女は何時もそうだ、都合が悪くなると悲劇を持ち込んで来る、男は教会の蝋燭へ向いて思っている。周りから同情を受ければ自分が正当化されると思っている、子供が出来た時も、自分が被害者である様に云って俺を責めた、そして、しまいに〈鏡ガエリ〉するなんて》
 《ですが、彼すら女を責め立てる事で、育てて来た自らの振舞いを守っています、何かを責めている時だけ、自分の責任を忘れる事が出来るからです。然し、何事も原因では在りません。其等〈利己的利他性〉のモニュメント》《人々の顔、何かを責めて、自分を憐れむ顔達が、視線が、君に御悔みを云っている》《君を捲し上げ梯子を外した連中の、自分を憐れむメロドラマが幕を引く》
 チェルノブイリに火を付けて、中央が抜き取られた輪が出来る、今燃えている一つの小屋、其を人々は眺めていて嘆いているのだが、誰一人として目を離したりはしない。丸で、自分の大切なものが焼き払われているのを、目に焼き付けているのかの様だ。だが、其が大切なものであればある程、喪失は諦めの灰を降らせる。やがて雨が其を消し、辺りに異臭が立ち込めて行く。《だが炉心溶融は止まらない》
 《だから、何の為に生きるべきか、見付けなければならなかった》《嘆く気持ちを、私は一切理解出来ないだろう、然し、君の歩みや迷いは生み出された音で在り、増築して行く建物だ、思い出の組み合わせだ。人は或る時〈群Δ周円〉に出会う、其の内に居たと云うのに、初めて対面する、そして、其は尋ねて来る》《此の輪、我々が繋いでいる手の輪、君は其によって作られた、君が、どうして、と尋ねるのであれば、君は君自身に〈利己的利他性〉を作らなければならない》《其の切り口、傷口、其処から這い出る度に問い直す、自傷の様な自問自答、切っては結び付ける〈結び先の無い首輪〉に問い直す。どうして好きに動けないのか、と問う度に、私はかつての何者かの様に其の鏡を通して自分を呪縛する。そして、何かを焼き払わなかったとして、私のチェルノブイリは作られ続けている》
 私達が物語る時、其処に在るのは過去のコラージュだ。此の雨降りの真新しさすら新しいと云う予言の言葉に内包されている過去だ、だとしたら言葉で区別する所に在るのは連続と分断でしかない。
 彼女は水溜まりを眺めながら其の水面に映る世界の広さに付いて考えた。
 「彼女の作話、と云う改竄された過去は其の様な回帰であり、其は今閉じられている」仮面を着けた少女は水面の向こうに現れ、云った。
 「一つの事実が水面を変更する事は自明です」彼女は云った。
 「人の意識が有する非現前的命題は、〈現在∧現実〉と云う一点の水面を問わない事で〈回避=譲渡〉出来る、〈現在∧現実〉に付いて問わなければ同一性のみで間に合う、けれど、問わずに生きる事は出来ない。あなたなら、改竄されたものに改竄を加え、水面に化粧を与える」仮面を着けた少女は云った。
 「事実の問題を回避する為に、過去に化粧をして、〈現在∧現実〉を調整する事は、寧ろ、人にとって日常的な行いです。ですから、改竄されていない過去と云うものは在り得ません。其は、現在のフィクションとの相対差としての作用です。過去の改竄を最小に抑える作用は〈群Δ周円〉の意義でしょう」
 「過去を共有する為の〈群Δ周円〉と其を維持する為の〈現在∧現実〉の更新、其が人の殆どね」仮面を着けた少女は云った。
 「でも、内在的に過去の変更は常に起こり、起こっていない過去の共鳴も、水面を震わせ、有り得ない過去と有り得ない未来も、また、水面を震わせるものです」彼女は云った。
 水から水へ、建物から建物へ、有り得たり有り得なかったりするものが震わせる、私は其処に化粧をする。だが、此の仮象性の自由が見出すものは、一回性以上のものにはならない、此の愛の事実性は、原体験と云う信仰、其は作話として可能性の内に在る。
 「あらゆる可能な旋律は内に在る、でも、其をどの様に見付けるのだろう、其の楽器を捜す事に、信念は無い。そして、見付けると云う事は、一種の錯覚としての事実で、其の確証は事前に在った感動其以上にはならない」仮面を着けた少女は云った。
 私達は予見と云う未来に先回りする方法により、未来を手に入れた気になる、そうしなければ〈現在∧現実〉の野蛮さを制する事が出来ないからだ。法は未来に先回りして裁こうとするが、現実の危機とは法で裁けない問題である、今制するべき問題は〈現在∧現実〉に在る。生きる事への意味付けとは、法より先行する力として在り、人を在るべき姿へ導こうとした、其が一層の虚しさとなるとも知らず。人はフォルムを捜す快楽を捨てられない、人は現在と云うものに対して無知だからだ、でなければ詰まらない。私は問題を求めているが、或る事象より問題を作り出す事は、今在る問題を解く事より難しい〈白紙のコラージュ〉だ。私が作曲家になったとしよう、私はあらゆるものから旋律を作り始める、私は様々な楽器を様々な方法で奏でるだろう、だが、作曲方法と云うものは常に自壊して行く。どれだけルールを壊しても、差異に耐えられるものは反復され、反復はすなわち建設してしまう、此の波の造形を何と説明出来ると云えるのか、そして、一つの旋律を思い付いた時、どうして其処に落ち着きを見出したのか、私は納得しない、唯、其を繰り返す。アイディアが枯渇した時、何処からともなく水脈は流れて来て、私達を叩き起こす。寧ろ、問題は捜さなくなった時なのだ、そして、私が一つを作曲した作曲家であれば、私は再び作曲しないと云う手段を持たない、一曲とは枯れる迄私を働かせる。一体何が私を作曲させているのだろう、其は何処から来るのだろう、其の水面は、寧ろ、秘密化する何かだ。私達は〈現在∧現実〉に付いて予見し知りたがると云う手段で、其等を秘密化している。其は私達の生活と云う虚構と接し、面し、前進し、後退し、逆転している。姿形が、イマージュの残像の様に在り、〈想起=オルガン〉に含まれ、未視を切り離した未来とは未知では無く既視であるが、来る未来は凡て旋律の新しさだ。回り込んでも努力しても予想しても、〈現在∧現実〉とは幻に属する一面だ。どうして、平気でいられるのだろう、此の幻想と面している瞬間に対してどの様な〈素顔のニケ〉で居られるだろう、私達は反射的に、秘密を成し、其の未来に接している。此の仮象としての化粧から次々と即興曲を生み出している四肢を、《君はどうして踊っているのだ》、其の自動筆記の作話を止める術が在るのだろうか、予見が不可能なのでは無く予想しない事が不可能なのだ。此等奇妙な仕草、其は眠りへ向けた祈り、記憶は呪縛、君と私の記憶の合意は自壊している。
 彼女が見上げるとモノリスが降って来た、其は間も無く地上に衝突しそうである。
 《我等移調の限られた旋法、其の三位一体の神秘に付いての瞑想》 
 ならば、私は秘するだろう、此の雨の源泉を。愛は幻実で展開している波だ。
   ×
 微睡から目覚めると、赤子の愚図(ぐず)りが聞こえる、愚図りはグゼリの様な微動である、しっとりとした手足を動かして、赤子は空を這う様に動く。文乃は其を抱き上げ、顔を撫で、耳を舐め、乳を与えた。手足は無抵抗で、頭皮はサラサラで、鼓動は転がる様に鳴っていた。
 人は物語る時、常に過去に付いて述べている、過去は短調と長調を人の感情に組み込んで、〈現在∧現実〉の同一化に励む、だが、メロディの味わいにはドリアンもミクソリディアンも在る、チェレプニン音階の様なシンメトリースケールも在る、其のどれが悲劇で喜劇だと云えるのだろうか、彼女は思った。生き物は意欲と共に生まれる、意識の分化より先に意欲は在り、其のダイナミズムは変化する、意欲、欲望の叫び、其処に目的など在りはしない、そして、目的も無く在る幽かな武装は産毛と意欲だ。子供に過去を語る、と云う手法で、人は発話を促す、言葉は征服であり祝福だ。時に征服する言葉を恍惚と飲む耳を私達は持っている。人は今が退屈だからと云う理由から、〈現在∧現実〉を意味付けるが、此の子は手足を動かし、空を這う事を楽しみ、私の指先を握り締め、乳を飲む事に夢中だ、生きる事は其程に退屈だろうか、だが此の介自的鏡像は自由を受け取っている。
 《私にとって生きる事は退屈だ、言葉で世界の地図を作り続けなければ、此の命の炎は熱的死を迎えてしまうだろう》《だが、そうして出来た巨大な言語の地図は細部の無い置物と化す、自らが歩き、自ら手に入れた道では無いからだ。そして、誰もが世界の言語的征服を求めるが故に、世界は擦り減り穢れて非在的に巨大化する、其は此の世の限界をより狭くして、幾つものチェルノブイリを作るだろう。和解と云う国境は確かめられる程に、深くなり太くなり、人と人は遠くなる》
 此の征服を脱ぎ捨てた意欲は何を求めるだろう、文乃は思った、何処を歩くだろう、或いは、私が考えもしなかった帰り道を探し当て、其処に〈幻在Δ幻実〉を見付けるかも知れない。何処を歩き、何を見付けるのか。
 《或いは、自ら見飽きた此の世を書き換える為の子供、と誰かが云ったとして、貴女は其の素顔を隠すでしょう、其の為の沢山の嘘を思い描ける為に、沢山の化粧と仮象を持つのです。一つの微笑みから覚める為に、沢山のアイディアを、此の世の裏道の様に見付け直す貴女は、今でも子供です、一切の言葉で制圧されていない自由です。然し、言葉に制されないと云うだけで、貴女は充分な淑女です。おやすみなさい、化粧のニケ》
 此の子は、どの声を母だと思うのだろうか、いや、複数の母と云うものを含め、どの様に知るのだろう、今、真白な紙は大きく広げられている、一切の選択肢の銃口を背ける鏡の眠りの中で。
 文乃は赤子が眠ると、ゆりかごに戻し、鏡の前に座り、自らの顔を眺め、触れた。そして、丁寧な化粧を施した。ベースメイクをして、肌理を揃え血色を良く見せて、アイラインは控えめに描き薄めのルージュを引いた、其は素顔と大差無く見えて、頬は冬の火照りを滲ませている様だ。彼女は寝室から出て階段を下り居間へと向かった、居間では父と母が黙って本を読んでいて、弟は別室で眠っていた。彼女の実家は古本屋で在る、文月が続けていた小さな店で、其は今も細々と続いていた。居間は店の奥に在り、小さなテーブルを家族が囲める様になっている。文乃は父に一言云って家を出た。
 冬の夕暮れの神楽坂は沈黙していた、繁華街の方は明るく賑やかであるが、一歩離れると静かで、細い道が細い道へと繋がり、其等は続いている。其の殆どが不出来なコンクリートのビルで、土地を持つ者も家を持つ者も部屋を借りている者も、金持ちになるやり方の奪い合いをして疲れ切り土地も建物も傷んで来た、と云う具合である。
 終わらない土地は無く、終わらない都市は無く、失われないものを人は求めた事が無い、文乃は思った。そして、或る種のものは破壊されないと分化の末期を彷徨い続ける。明かされた秘密は、本当は価値が在る、と云い続ける婦人の、古びて着られない衣類の様に、在るのは思い出と肌触りだけ、然し、スベスベが在る内は、森は森を隠している。だが、もう見出すべき道が無い都市が在るとしたら、寧ろ、秘密は作られて行き、複雑な分化は予測を超えたフラクタルの様な植物状の建設を成す。家庭の機能不全、組織と社会の機能不全化、其の秘密の伏線の道のり。秩序もカオスも無いままで、ゆっくりと、或る種の理念は其の内側から崩れ去り、新しい植物を複製している、差し込まれた付箋。だから此の実験の様に乱暴なやり方が、都市の都市性であり、〈群Δ周円〉の建設のやり方なのだろうか。
 《結婚制度、家族制度、其処に隠れた正当化された売春や回収、或いは自明な幻想、未来と呼ぶ社会的自己保存への父達の疑念と不穏、其の中で消費される女達の尊厳、其の揺れは何時も食い違い、会話の焦点は一致しない、互いが愛に付いて述べたいと云うのに》
 《閉ざされた歪で不当な借りが在る、と思い続ける浮浪者、ルンペン、同性愛者、失業者と癇癪持ちの楽園の日が暮れる、誰一人眠れない夜に沈黙だけが強制され、やがて、都市は、移民と働き者のマイノリティのものとなる。其の様な胎動が子守歌となって流れているのに、健常者達は叫んで、生きる理由と生きる価値を求めてゴミを捨てる。生きる事と云う病は、其の内側を廃墟化させて、飼っている心算の欲求に乗っ取られるだろう。欲望と云うウィルス、其を作れない枯れた正常さと責任の内から、意欲を排泄し、排泄を吸い取る君よ、夕焼けの炎の味は何色なのだろうか》《視力と云う意欲の威力、不毛な雲煙、どうせ愛してやるのです。出演者は観客を待ち、楽屋で途方に暮れ、失われて行きます、見出すものに共鳴しながら。理力と云う利欲の両翼が老いて、此の焼野原は組み合わせ、然し、貴女は種を巻きます。刈り尽くされる価値が土地を禿げさせる中、亡者も眠らせない、狂乱の夜の様に。あの愛しき廃墟が見えている、貴女は、其、を作るでしょう。雨の世界を招くでしょう。愛しき人魚と泳ぐでしょう、此の多重人格的多重奏で躍らせて、亡者は不眠で死ぬのです》
 歩き慣れた道が老けている、冬が来る度に老人は死んで行き外国人は増える、だが、其を求めている〈理想市民〉の建物が、今も御腹一杯になり切って太っている。此の都市の中心に在る巨大な家畜に、もっと餌をやろう、たとえ其を誰かがディストピアと云っても、ミクソリディアンで奏でよう、予見で未来を悲劇化したい、異性愛者達が呼吸出来なくなる程に。
 地下鉄の駅前に着くと、何時もの様に魚人と人魚が屯(たむろ)していてタバコを吹かしていた。地下鉄を乗り継いで渋谷にでも出て行くのだろう、文乃は思った。
 「やあ、文乃ちゃん」
 「あら、文乃、元気」
 「散歩ですか」
 文乃は微笑んで彼等を見送った。
 野蛮な夜がやって来る、獣の様に交わって、訳の分からないものを産む、姿無い者達を隠してしまおう。高層ビルを建ててしまえ、其をオブジェにしてしまえ、不毛な努力に油をかけて、火をかけ、雨降り、火を付けて、破産する。此の人口の反社会化、意欲を失うと云う疫病を肯定して、沢山の異邦人、幻想的失業者が、有り触れた悲劇を溢れさせて、気が触れた雨の降る、雨の世界を招いている。
 《何時もの敗北、何時もの排泄、何時ものカタルシスの歌の終わりに、陽気に詠う気の触れた聖者の群、此の行進の先に精神病院を建ててやろう。好きに壊せ、好きに潰せ、好きなだけ殴り合え、価値を奪い合え、そう詠う笛の音も、君は海に投げ捨てる様に唄う。母は語り、物語は母を詠う、其の言葉の制圧の穴に自らを吸い込ませ、此の夜を忘れる人々の痛みと云う自我が、排水溝に流れ込むのを眺めるだろう》
 《明日、世界が終るとしたら、と誰かが尋ねた、其は一つの前提から、今現在の、一時的意欲を問うものだが、其は一つの盲点を持っている、寧ろ、世界とは、今日終わりつつ在る何かだ、但し、終わりと始まりは、終末思想とは丸で異なる別のものへ、緩慢に収束している。始まりも終わりも虚構上の概念として虚構の世界で、世界の主体的振舞いによって自壊するものなのだ。彼等は此の世界にしがみ付いている心算なのだろうか、生き残っている心算なのだろうか、勝者で在る心算なのだろうか。非自然としての社会は宗教的誇大妄想としての虚構世界を作り上げ、精神は内部に建物を作った、そして、建物化されない水面から次々と生まれる時を偶然と切り離し、自然と非自然の中間に鏡で国境を作り上げ、其の国境が破壊される事を、一々命題として突き付けて来た、だが、寧ろ、世界とは、どの様にして終わらせるのか、を問う命題としか在り得ない。未完である理論の完全を前提とした問題の効果は無い、世界が終ってからどうするのかとは問えない、そして、終わりも始まりも、一つの水面に浮かぶ木の葉の様な揺らぎだ。だが、明日、終末に悲観する少年少女を、私は責める事が出来なかった。君達が無価値な人間になるのでは無く、今、私が君達の低価値化を進めているだけなのだ、白いシャツにアイロンをかける様に》
 彼女は一時間程歩いた後、市ヶ谷の自室へと帰り、仕事を始めた。
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