アートライティング・フォー・(しかし、それらもまた風景である。)〈Art writing for ⅷ-ews with a lot of views〉#2 洲崎晴嵐
イントロダクション
前回はこちら#1
本稿は笠松咲樹さん作「(しかし、それらもまた風景である。)」のアートライティング記事です。私はアートライティングを〈芸術記述術/記述芸術術〉と捉え、本稿を書いています。本稿を通して(しかし、それらもまた風景である。)の面白さが伝わればと考えています。コメント等で解釈などのご指摘あれば記事に追加してゆこうと考えています。
洲崎晴嵐概要
雨の中の散歩
案内人は続いて宿泊施設へ導きます。雨に中、小山へと向かいます。前回の「深夜バス待合室」からのルートは下の図の道です。
雨の中を二人揃って歩いてゆきます。
山に沿ってアルファベットの「C」状のスラブがあり、その上にホテルがあります。
スラブは削られた山を補うようにして建てられています。スラブのした大きな道があり、歩道橋もあるようです。
この建物の床=天井の部分をスラブといいます。
「雨〈雨粒/天候〉」に続いて二つの側面を持つモノの登場です。この建物が二人が宿泊するホテルであり、二つ目の風景です。
かなり奇妙な建物であることがわかります。建物の入り口、カウンターは下の図。
ここにあります。
柵もないスラブの上を雨風の中歩いたのですから、訪問者の気持ちも察します。
カウンターはビニールハウスの中ポツンとあります。
スラブと山の間には一部空間が空いています。〈模型で保つ物は実務でも保つ〉幹線道路によって山が削られた為、元々あった山を補完して建物を作ることに意味があるのです。
浮世絵のイメージから着想を得ています。
ロビーで受け取った鍵についている鈴、雨のざわめき、植物のざわめき、スラブの浮遊感、削り取られた山。山から離れるとガットギターとストリングスが奏でるBGMが流れています、野外で流れるBGMです。
二人が部屋に入ってゆきます。部屋はダイニングと寝室に分かれています。訪問者はダイニングには行きません。
室内も音であふれています。
木製の床、コツコツと足音が鳴る。カバンの音、訪問者の部屋には窓がないようです。ベッドのスプリング音もします。
その夜は訪問者は疲れて眠ります。
短歌
柳とカーテン 複数の波
案内人が目覚め、朝食を運び、ノックをします。訪問者が窓の見えるダイニングに招かれます。半楕円の窓から朝の光があふれています。等身大より大きな窓です。左半分の窓を開け、両方のカーテンを真ん中に寄せると風が吹き込みカーテンが柳のように舞います。
「嵐のあとのよく晴れた青い空」和歌にある通りの再現です。ですがよく見ると和歌をモチーフにした再構築であることがわかります。
浮世絵のテーマである柳がカーテンによって表現されています。
背景には休憩所があります。塩焼き小屋でしょうか?小さな建物が点々とあります。
三つの波が見えます。一つがカーテン、一つが窓の向こうに見える三つのトタン、一つが海の波、それぞれが異なるリズムを奏でていて周回的に一致する感じがします。反復するイメージ、規則的運動とカオティックな展開を想起させます。
詩 虚飾する柳
柳が奏でる音楽の詩です。(見立てられた柳=カーテン)洲崎晴嵐の中でダイナミックに靡く柳が独白しているようです。点在して見える小屋も思えば楽譜に見えます。窓の前で靡く初夏の風です。
ミニマルとは無駄なものを省くという意味で使われます。最低限とはニュアンスが違います。現代音楽家スティーヴ・ライヒの音楽で有名になりました。
窓の外には青っぽいトタンが波波に折られた長方形の屋根が三つひらひら浮いています。自動販売機が三つあります。三つの屋根の下には同じ形の椅子が置かれています。
柳に見立てられるカーテン、フレーミングです。「柳とか反復というリズムが意識の中に構築されるように、設計者はフレーミングしている」(笠松咲樹談)音と形のリズムがフレーミングされています。
ここでいうフレーミングとは意識するよう方向づけています。無論、これは浮世絵に登場する柳を連想するように構成されていますが、同時に再構成もしています。和歌と浮世絵から着想を得て、ありふれた景色を新しく見立てる、一連の本作の試みです。
スラブ上のホテル、窓からの光景、これらは全て窓から見える風景のためだけに企てられたものです。
リフレーミング
着想である浮世絵、短歌、そして現代の八景周辺の街並み、雨の中を歩いてきた時鳴っていた音が、一つの窓へとリフレーミングされています。リフレーミングとは家族治療の用語で「ある枠組みから離れ、別の枠組みで見直す」という意味です。
本章ではシンプルな、「波」。パターンへの収束、つまり、ミニマルな美しさが示されているように感じられます。
休憩所へ
朝食を終えて、窓から見えていた休憩所へ、二人は降りて行きます。昨夜歩いたスラブや小山には雨の気配が残っていますが、すっかり様子が変わっています。
青っぽいトタンと表記されている休憩所です。これも風景のための作られました。この模型の中をウロウロする感じ、私は何処かで味わったような気がします。小さい頃にジオラマを作ってそこに友人を招待したりしました。この感覚は「しかし、それらも〜」の中に流れている面白味なのだと思います。
休憩所には自動販売機があります。訪問者はオレンジジュースを買い、次の目的地へと移動します。
模型
今回は色々な見所から一つ引っ張って語りましょう。
私が感じたのはポエティックな模型です。建物は風景と密接に関係していて、同時に仕掛けでもありますが、これが可愛いのです。「しかし、それらも〜」は図録並みに大きな本ですが、やはり模型を体感するには画面の大きさは必要だと思います。
テーマ フレーミング ミニマリズム
枠を作り奥行きを与えモチーフを際立たせる、基本的なやり方です。これは風景を切り取る手段として普遍的なものかもしれません。奥にはサブテーマが隠れていてわかりやすいです。
浮世絵では平面的に置かれているものが本編では奥行きを持って並んでいることにお気づきでしょうか。ちょっと現代的な感じがします。でも、身近なところでいうなら鳥居がそれに当たります。
本章の再構成はミニマル音楽の印象が強い感じがいたします。三つの波、大きな額縁、シンプルで強いリズム感です。ここで収束しているミニマルなイメージとは枠や額そのものだと感じます。枠から枠が生まれるイメージです。枠の中には何かが想起されます。そこにも枠があります。柳に見立てられたカーテンは枠から飛び出す躍動で、トタンと波がそれと繋げられています。枠は内部から躍動しています。
少々前衛的手法ではありますが、〈しかし、それらもまた風景である〉ということでしょう。
このような考え方は写真や動画にもあるようで、額縁構図(フレーミング)といわれます。
ノスタルジアの最後のシーンでは、寺院の中にジオラマのようなものが建てられていて、内部に主人公の故郷の家のミニチュアが再現されています。
タルコフスキーの映画は大変に風景的で額縁的ですよね。このフレームに来る前と後というものにも意味がある感じがします。シンメトリーな図法は映画作品ではとても気持ちがいいです。
#3瀬戸秋月からのホテル
「しかし、それらも〜」は一貫して風景について設計された作品です。そして、一つの風景は次の風景でも風景として作用します。削られた山を補完する形で設計されたホテルが次の風景で登場します。お楽しみに。
#3 へ続く
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